40歳「なりゆきで小説家になった男」の波瀾曲折 「ぼぎわんが、来る」はこうして生まれた

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1作目『ぼぎわんが、来る』は世に発表する予定のない、いわば趣味の作品だった。

2017年に上梓された『ぼぎわんが、来る』(筆者撮影)

2作目は出版社から依頼をされて書く仕事の作品だ。澤村さんはプロとして、初めて小説を書くことになった。

「どうにか2作目である『ずうのめ人形』を書き下ろすことができました。この作品は自分に対する試練でした。なにもアイデアがないところから、絞り出して書くことができました。この作品を仕上げられたことで、今後プロの小説家としてやっていけるという自信を持つことができました」

たまたまだが、澤村さんは大賞をとった1カ月後にお付き合いしていた女性と結婚していた。そしてお子さんも生まれた。

澤村さんは、小説家の収入で家族を支えなければならなくなった。

「執筆依頼はたくさん来ました。ざっくりですが、依頼を消化するだけで5年以上はかかります。ただ、もちろん出版が確定している数冊の本が売れなければ、未来の約束はなくなってしまうと思います。とにかく今は、一生懸命書かなければならない、と思っています。

『ぼぎわんが、来る』が映画化されたことで知名度が上がり書籍も売れました。また映像化権、ソフト化権などまとまったお金も入ってくるようになりました。『家族を養うことができている』という実感があります」

世の中に小説家を目指している人は多い。小説家になるために何年にもわたり応募を続けている人もいる。

澤村さんは、小説家を目指していたわけではない。ほぼ、なりゆきで小説家になった。

小説家として食っていく覚悟を決めた

「僕はこれから、そういうまっすぐに小説家を目指して書き続けている人たちと戦っていかなければなりません。先輩の作家にも小説家になりたくてなった人が大勢います。正直怖いです。怖いですが、それが楽しくもあります。

年齢も40歳になり『もう次のチャンスはないぞ』とつねに自分をいさめています。『状況が悪くなってももう逃げ場所はないぞ』って。小説家として死ぬまで食っていく覚悟を決めました」

澤村さんは今までの人生を振り返ると、「何も無駄なことはなかった」と思う。

「はたから見ると、僕の人生は挫折続きに見えるみたいです。でもストーリー的には破綻していないと思います。

今までにあった一つひとつの経験が全部、小説家としての糧になっています。人生のいろいろな出来事がパズルのピースのようにハマっていき、ちょうど空いたところにすっぽりと小説が収まったんだと思います」

と、澤村さんは明るく語ってくれた。

澤村さんの小説家としての人生はまだ始まったばかりだ。これからも、さまざまな小説を生み出していってほしいと思った。

村田 らむ ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター

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むらた らむ / Ramu Murata

1972年生まれ。キャリアは20年超。ホームレスやゴミ屋敷、新興宗教組織、富士の樹海などへの潜入取材を得意としている。著書に『ホームレス大博覧会』(鹿砦社)、『ホームレス大図鑑』(竹書房)など。

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