大牟田、「石炭と鉄道」で発展した街の栄枯盛衰 西鉄の終点、新幹線の駅もあるが・・・

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高度経済成長以後、エネルギー革命により日本列島全体が石炭から石油への転換が図られていった。石炭産業は急速に斜陽化し、三池炭鉱もエネルギー革命の影響は避けられなかった。三池炭鉱が衰退することで、大牟田市も同時に勢いを失った。

一方、県都・福岡市の発展は目覚しかった。時代とともに、西鉄天神大牟田線や鹿児島本線の利用者はうなぎのぼりに増えていく。とくに天神大牟田線は爆発的に利用者数が増加しており、ピークを記録する1994年には年間利用者数が1億3000万人に達した。

大牟田駅西口。右奥に見えるのが東西自由通路の入口(筆者撮影)

増加する利用者に対して、西鉄は複線化や立体交差化、加えて駅の拡張やホームの延長といった対策を次々に打ち出して輸送力の増強を図った。

駅改良工事が進められる一方、輸送力の増強とは関係がない大牟田駅の問題は放置された。大牟田駅はJRと西鉄が線路を並べているが、駅の東西は線路によって分断状態にあった。それが街の発展を阻害しているとして、長らく行政課題になっていた。

1990年、大牟田市は西口駅前広場の整備に合わせて、東西を行き来できる連絡橋を完成させた。しかし、すでに大牟田市の隆盛は昔のものとなっていた。

「石炭の街」今後のビジョンは

1997年、三池炭鉱は完全に閉山。石炭都市・大牟田に終わりを告げた。その後、大牟田市は巻き返しとして九州新幹線の駅誘致に取り組む。新幹線駅の誘致には成功した大牟田市だったが、新大牟田駅は新幹線単独駅として開設されたためにJR鹿児島線や西鉄との接続がない。また、中心市街地から離れた場所にある。そのため、現在の新大牟田駅利用者は1日当たりの利用者数が約600人と低迷している。

2020年3月には、大牟田発展の象徴でもある保健所機能を返上することが決まった。炭鉱閉山後、大牟田は衰退を食い止める有効的な対策を講じることができていない。

最近では、2015年に世界遺産登録された三池炭鉱をはじめとする産業遺産群を観光振興のために猛烈にプッシュしている。産業遺産群は市内各所に点在しているが、それらを巡る手段がレンタサイクルやタクシーになる。そのため、観光への訴求力が高まっているとは言い難い。

逆風の中、大牟田は石炭産業に代わる新たな一手の模索が続いている。

小川 裕夫 フリーランスライター

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おがわ ひろお / Hiroo Ogawa

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーランスに。都市計画や鉄道などを専門分野として取材執筆。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)、『封印された東京の謎』(彩図社)、『東京王』(ぶんか社)など。

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