1964年東京五輪を機に変貌を遂げた渋谷の街 2020年以降の東京はどのように変化するのか
今年の夏、いよいよ東京オリンピック・パラリンピックが開かれる。開催が決まった2013年以降、都心や湾岸の再開発、ビル建設、会場整備が相次ぎ、オリンピックとは、これほどまでに都市を短期間のうちに変容させるものなのかと驚いた人も多いだろう。
しかし、前回の1964(昭和39)年の東京オリンピックのときには、これ以上の変化が東京に襲来していた。1956(昭和31)年の『経済白書』の「もはや戦後ではない」という一文が当時の流行語になったが、1960年代半ばの東京都内にはまだ駐留軍に接収されている地域もあり、道路も舗装されていない泥道、砂利道が多かった。水洗トイレや下水の普及率も低く、都市基盤の整備や衛生状態は、欧米各国に大きく後れをとっていた。
そこに新幹線と首都高速道路を開通させ、欧米スタイルのシティホテルを建設し、街並みを整え、東京を当時の先進国並みに一気に変貌させたのが1964年の東京オリンピックだった。それは、今回の2020年オリンピックを機とした再開発とは、次元の異なる劇的、革命的な変化だった。
渋谷の大変化
なかでも、主要会場となった神宮外苑地区と世田谷・目黒区の駒沢公園地区、その2地点を結ぶ渋谷の街周辺は、オリンピック後に飛躍的な発展を遂げる。この地域のその後の発展の歴史を振り返ると、オリンピックという国家的イベントによって、エリア全体が格上げされ、土地のブランド化が進んでいったことがわかるのだ。
今では考えられないかもしれないが、1960年代初頭の渋谷は、東京でも後発組で、古くから栄えてきた銀座や日本橋、上野などの下町の繁華街と比べて、格式もにぎわいも劣る街だった。
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