1964年東京五輪を機に変貌を遂げた渋谷の街 2020年以降の東京はどのように変化するのか

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当時の渋谷のめぼしい集客施設といえば、駅前の東横百貨店(現在の東急百貨店)と、東口に1956年にできた東急文化会館くらい。街には都電と玉電(玉川電気鉄道、のちに新玉川線、現在の田園都市線)が走り、宮下公園脇を流れる渋谷川はまだ暗渠化されていなかった。まだ公園通りもセンター街も存在していない時代で、百軒店(ひゃっけんだな)や恋文横丁などの飲食店街が日本に駐留する米兵たちでにぎわっていた。

1964年のオリンピック大会前には、会場である神宮外苑地区と渋谷、そして駒沢公園地区を結ぶ国道246号線(青山通り、玉川通り)が拡幅整備され、現在の30〜50m幅に。青山付近では北青山側に約7m道を広げたために表通りの店舗は立ち退きを余儀なくされ、坪40万円という当時では破格な補償料が支払われたという。

1964年にできた東急東横線地上駅(筆者撮影)

オリンピック開会直前には三宅坂から渋谷へ至る首都高3号線が開通。渋谷駅の山手線路上を首都高速が横断するダイナミックな都市風景がお目見えした。

2013年に東急東横線の地下鉄副都心線との直通運転・地下化に伴いなくなったカマボコ屋根の東横線駅舎も、この1964年のオリンピックに際して整備されたものだった。

オリンピック後の飛躍

しかし、この渋谷の街が飛躍的に発展していくのは、むしろオリンピック後のことだ。五輪の3年後、1967年には渋谷の高級住宅街・松濤にほど近い坂の上に東急百貨店の本店が開店。翌1968年には西武百貨店渋谷店が開店。渋谷はオリンピックの洗礼を受けた新たなショッピング街として、人気を集めていった。

また、オリンピック大会の中継のため、国際放送センターとして使われた建物を東館として整備し、1965年にNHK放送センターとして運用を開始。以後、千代田区の内幸町にあったNHKを順次移転し、1972年に現在のNHK本館やNHKホールが竣工し、渋谷はNHKという日本の主要放送局のある街という貌も持つようになる。

NHK放送センターとNHKホールは1972年完成

1973年にはNHKにほど近い渋谷駅から坂道を上がったロケーションに、当時最新のファッションビルとして「渋谷PARCO」が開店。「すれ違う人が美しい 渋谷公園通り」のキャッチフレーズで、渋谷公園通りのファッションストリート化に成功し、以後、渋谷の若者文化の求心力となった。

渋谷ではこの頃を機に、東急百貨店、東急プラザ、東急ハンズや文化村の東急勢と西武百貨店やパルコ、ロフトなどの、東急vs.西武の対立軸が生まれ、相互が競うように街を盛り上げていくようになった。

一方で、渋谷の隣町である原宿や青山も、オリンピックで界隈が整備され、海外からの観戦客などが訪れて、洗練された雰囲気になっていったことでファッションの街として発展していく。

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