意外!織田信長の気遣いあふれる手紙の中身 信長に学ぶ相手の心をつかむ文章3ポイント
確かに、信長は家臣に対して過酷なプレッシャーを与え、失敗や怠惰に対しては苛烈な仕置きをするパワハラリーダーのイメージが強いですし、多くの部下から畏怖され、「第六天魔王」とまで自称して、その名のとおり敵から恐れられたのも事実です。しかし、単に冷酷で無慈悲な暴君であれば到底、「天下布武」の大業をなすことはできません。多くの部下がついてこないからです。恐怖だけでは、人を支配しきれません。
この手紙が書かれたのは、天正4(1576)年といわれています(天正9年という説もあり)。当時、世継ぎに恵まれなかった秀吉は、信長から拝領した長浜城に側室を置いていました。さらに、生母の大政所(おおまんどころ)や一族の者たちも城内に引き取っています。奥向きを仕切るおねの苦労は、並大抵ではなかったでしょう。
おねは、自分の気苦労を語るともなく信長に愚痴ったため、彼女をなだめる手紙を信長が送ったと考えられます。無論、信長はそれを秀吉が読むことも意識して書いています。
手紙の真の目的は何だったか
みなさんに考えていただきたいのは、夫・秀吉の上司とはいえ、安土城を築き、飛ぶ鳥を落とす勢いの、天下人に近い信長に、おねは家庭内の不和の相談を持ち込んだわけです。これは取りも直さず、信長率いる織田家が、つね日頃からいかに風通しのいい家であったかを物語っています。
もし信長が本物の冷血漢であれば、おねは愚痴をこぼすことなど、できなかったでしょう。しかし、彼女は愚痴を言い、信長はそれを受け止め、手紙を書いて励ましているのです。織田軍団は厳しい規律の集団であると同時に、ファミリー的な温かさのある組織でもあった証拠です。
ではここで、おねへの手紙を読み解いてみましょう。
信長は、冒頭で「以前よりもよほど美しくなった」と、おねを褒めています。さらに秀吉を「あの禿げネズミ」とユーモラスに呼び、おまえほどの女性を、再び女房にできるわけがない、とおねを持ち上げています。そのうえで、「妻の心得」を説いているのです。
ここが信長の、この手紙における真の目的でした。信長はおねに、「おまえはすばらしい妻だから、これからも秀吉をしっかり支えてやってくれ」と伝えたかったのです。
もしこれが、冒頭からいきなり、「妻たるもの、愚痴を言うな。妻の務めを果たせ」などと命令調に書いたならば、彼女も聞く耳を持たなかったかもしれません。さらには、「そなたは秀吉の妻なのだから、ドンと構えていればいい。気苦労も多く大変だろうけど、今は織田家も大変な時期なので少し辛抱してくれ」という趣旨を、やわらかい表現で伝えたのです。
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