おっさんと住む元アイドルが得た「最高の天職」 元SDN48大木亜希子、女子の共感を呼ぶ生き方

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大木は今年5月、初めての著書『アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア』を出版した。かつてのアイドルが「アイドルを終えたその後の人生」で、いかにして一般社会に戻り、別の職業に就き、どのような悩みとともに生き、どんな恋をしているのかをノンフィクションで描いた。そこから半年で2冊目の刊行にこぎつけた。

大木は2010年から2012年まで約2年半、SDN48に在籍した。それ以前に10代前半から女優として活動し、ドラマや映画で大役を演じたこともあった。2012年3月31日をもってSDN48が“一斉卒業”したその翌日から、彼女は“1人のタレント”という立ち位置となった。

過去の栄光にすがりつきながらも、昼は地下アイドル、夜は業界の食事会に顔を出す日々。その後、彼女は芸能事務所を退社する。そして25歳のとき、もともと文章を書くことや読書が好きだった彼女は、地下アイドル時代のファンからの「アキちゃんの文章面白いよ」という言葉を励みに、わらにもすがる思いで、ネットで見つけたライター募集に応募する。そこからライターとしてのセカンドキャリアを歩んできた。

容姿端麗な元アイドルのライターという特異な経歴。大木は確かに目を引く存在だが、ライター歴は約5年。駆け出しというほどではないが、業界の中で見ればまだまだキャリアは浅い。生き馬の目を抜く編集者が認める「本当の実力」がなければ商業メディアにおける継続的な執筆や書籍の出版なんてできない。

大木はもがき苦しみながらも、ライターとしての経験を積み、結果を出している。ただ、ライターとしてがむしゃらに「頑張る大木亜希子」が水を得た魚のような生き方を見いだせたのは、アイドルとしては結果を出せず、「頑張れなかった大木亜希子」がいたからこそだ。

芸能界に入らざるをえなかった理由

「もともとは芸能界に興味があったわけではありませんでした。働いて、稼いで、母親を助けたい一心でした」

「父親がいたら『やめておきなさい』と言われるであろうことも、父はいなかったのでいい意味でストッパーがありませんでしたね」(撮影:梅谷 秀司)

大木は父が歯科医院を営む裕福な家庭に生まれた。長女、次女、双子の姉で三女の奈津子と四女の亜希子。4人姉妹の末っ子として育った。幼少期は、よくレースのワンピースを着せられ、家族の誕生日にはグランドピアノを囲み、母が「ハッピーバースデー」を演奏する。まるで「人形の家」という戯曲のような、一見すると幸福そうに見える理想的な家庭だった。

ところが、大木が小学校5年生のとき、一家の運命は一転する。父が脳梗塞で倒れたのだ。ふくよかだった父は、体重30キロ台のガリガリの体になり、オムツを付けて寝たきり状態になってしまう。

「変わり果てた父がそこにいました。その姿を見て、人間の人生はあっという間に終わってしまう、絶対的な存在も、いつかいなくなってしまうということを痛感しました。その頃から妙な自立心が芽生えました」

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