中央銀行が環境問題に手を出すのは無理筋だ ラガルドECB総裁はやはり政治的すぎるのか
なお、11月28日、同じくフランス出身のクーレECB理事は「中銀が気候変動問題の克服で先頭に立つのは無理がある。これは政治の仕事であり、そうあるべき」と述べる一方、「中銀は各行に与えられた責務の範囲内で支援を行うことはできる」と表明している。筆者は基本的に前者の立場だが、後者の「責務の範囲内で支援」をあえて考えれば何が考えられるだろうか。
この点、量的緩和政策(QE)において環境に配慮した事業が発行するグリーンボンド(グリーン債 )を多く購入しようという「グリーンQE」なるアイディアがECB当局者の間で飛び交っている。ただ、環境問題への配慮に支持を表明しているビルロワドガロー総裁をもってしても「相対的に小さいグリーンボンド市場での大量購入は市場を大きく歪める可能性がある」として難色を示す。
しかし、問題は債券市場の大小ではない。今年10月、バイトマン独連銀総裁は「インフレ率が低い間だけ気候変動対策を続けなければならない理由は、ほとんど理解されない」とグリーンQEを批判してみせた。筆者もまったく同感だ。環境対策それ自体が重要なテーマだとしても、QEを通じてそれを支援するということは「金融緩和(≒QE)が不要の局面に入れば支援しなくてもいい」という意味もはらんでしまう。そうした要らぬ政治判断を迫られないために中央銀行には政治からの独立性が保証されているはずだ。
環境対策は中銀ではなく政府の仕事である
それ以外にも、常設されている流動性供給において、中央銀行が民間銀行から担保を受け入れる際に、グリーンボンドの掛け目を優遇したりする案も取りざたされている。確かにこの程度であれば、「責務の範囲内で支援」できるかもしれない。だが、当該資産がどの程度、環境に優しい(あるいは優しくない)のかを定量的に評価できる尺度を用意しないかぎり、このようなアプローチすら難しい。
一方、環境問題が重要であり、中央銀行として支援できることがあったとしても、「本当にやるべきなのか」という根本的な疑問も残る。②の「役割区分を取り違えている」という論点である。クーレ理事も述べるように、基本的に環境問題で先頭に立つのは「政治の仕事」であり、中立性が要求される中央銀行の仕事ではない。バイトマン総裁も「気候変動問題の対策を打ち出すのは選挙民によって選ばれた政府の仕事で、中銀が環境政策を推進する民主的な正当性はない」と明言している。
上述した担保の取り扱いを環境基準で差別化するというアプローチ1つ取ってみても、中央銀行が環境に優しい(あるいは優しくない)との評価を行い、私企業の資金調達の優劣にまで踏み込むことが適切なのだろうか。その評価が異論の余地のない単純なものであるならば気にはならないかもしれない。しかし、判断に迷う微妙なケースも出てくるはずだ。
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