どん底だった、私たちの20代を越えて 女子76世代、あのスター社員たちが語る
――今はお子さんを抱えてお仕事をされているのですよね。
伊藤:そうです。双子の男の子がいるのですが、本当にしっちゃかめっちゃかで。今朝も双子のうちのひとりが熱を出したので、朝の会議をキャンセルしました。その後、義母に来てもらって子どもを託し、さらに、私の母親にバトンタッチして、この後、夫が担当と。3人リレーです。
――次は小林さん。ミネラルウォーターの「い・ろ・は・す」を開発されたんですよね。
小林:はい、2008年の春ごろから「い・ろ・は・す」の開発に携わり、2009年に発売しました。私はブランドマネジャーとして現在も引き続き、どのようなプランで展開していくかというのを考えて、ほかのメンバーと一緒にプロモーションやパッケージデザイン、広告、テレビCMなどを作り上げていっています。
20代で最低評価、専業主婦生活……
――皆さん、ヒットメーカーで取材もたくさん受けていらっしゃいますが、それぞれ、そんなに簡単にここまで来られたわけでもないですよね。白井さんは特にどん底の時代があったということですが。
白井:はい、20代は入社して、まず、店舗に配属になりました。大阪のお店に配属になり、2年ほど店長をやってからフランチャイズ加盟店の経営指導をするスーパーバイザーのアシスタントを1年ほどやっていました。
――大阪には行かれたことは?
白井:東京の大学生だったので、まったくありませんでした。配属通知も普通郵便で来て、それで大阪に行ってくださいと。当時は衝撃を受けました。大阪の文化の違いに戸惑い、慣れるのは大変でした。ですが、今でも仲のよい知り合いがたくさんできまして。よかったと思っています。
――その頃、どんな仕事をやりたいと思っていらしたのですか?
白井:もともとローソンに入社したときに、「スタジオジブリが好きです」と言っていました。ローソンはジブリさんとタイアップさせていただいているのですが、大阪にいたときに社内報で当時のエンタテイメント部の部長がジブリの仕事をやりたい人を募集していたのを目にしまして、「これだー!」と思って、社内公募を受けて通ったのです。
――それからすぐに希望のジブリ関係のお仕事は?
白井:それが全然できなくて。実は同じタイミングで同期の女性と一緒に2人で本社に配属されたのですが、私は全然違う金融サービス部という部署に配属になりました。同期の彼女は今もジブリ担当なんですよ。全然、違うルートになりました。
――自分のしたい仕事と実際に配属される部署が違うことは、多々あると思うのですけれど、実際にどうでしたか?
白井:もう、全然わからなくて、やる気はなかなか出ませんでした。本当にエクセルも使えないような社員でしたので、 エクセル教室に通うなど、わからないことをとりあえず潰していくということをひたすらやっていました。
――すぐ結果が出たのですか?
白井: いえ、全然、出なかったですね。社内の評価も低かったです。ローソンの社員が聞いたらびっくりするぐらい、最低ランクに近いぐらいの評価でした。