どん底だった、私たちの20代を越えて 女子76世代、あのスター社員たちが語る
私は、家と会社ともうひとつ居場所がほしいという思いがあり、それを作るために大学院を目指した面があります。それと雑誌でアナウンサーの八塩圭子さんが法政の大学院に行かれたという記事を読んだのです。大学院に行って人生が変わったというような内容でしたが、まさしく、こうなれたらいいなと思う姿がそこにありました。
――久しぶりの勉強はつらくなかったですか?
白井:英語が多く、全然ついていけなかった時期もありつらかったけど、頑張ってやりました(笑)。
――実際に通い続けてどうでしたか? やっぱり口では簡単に学校行きますって言えると思うんですけど、実際、働きながらはそうとう疲れるし、続けることって大変ですよね。
白井:そうですね。ローソンの定時が17時45分なんですが、18時30分から授業が始まるので、45分でダッシュしながら頑張って通っていました。宿題も多くて、レポートも出さないといけなかったので大変でした。授業が終わっても、同級生たちとファミレスとかでいろいろと話して、そのあと午前3時ぐらいまで宿題してみたいな生活でした。でもそのときはつらいと言うよりは、会社以外の居場所ができて、同じMBAを取るために一緒に頑張っている仲間ができたことのほうがうれしかったです。会社以外で客観的に見てくれる人たちがいてよかったです。
――それは学校の同級生が?
白井:50代の同級生の方が私の経験を聞いて、「そんな時代もあるよ」「みんなあることだから」みたいなことを言ってくれたのです。そういうアドバイスをもらったことで、気持ちがすごく楽になってうれしかったですね。いつかはどん底から抜け出せるんじゃないかと思えました。
――影響もかなり受けました?
白井:はい、受けました。みんな悩みながらも、もがいて頑張っているんですよね。
――私だけじゃないと。
白井:そうですね、はい。
――そこから開き直るみたいな感じになったのですか。
白井:私はマーケティング部門に所属しているのですが、最初はマーケティング用語がさっぱりわかりませんでした。でも、大学院でマーケティングコースに通い、その用語がほとんどわかるようになったのです。上司にもちゃんと意見を返せるようになって、自信がついてきました。
――そうすると上司の評価とか見る目は変わってきました?
白井:ちゃんと案件を振っても答えられるんだな、ちゃんと回答できるんだなというふうに変わっていったのではと思います。
――そこから今の部署にいかれるまでは、どういう経緯だったのですか。
白井: SNSには全然、詳しくありませんでした。リラックマのキャンペーンやネットを使った企画などで実績があって、SNSを本格的に始めるのだったら白井にしようかみたいに決まったと聞いています。
(構成:江口和孝、撮影:梅谷秀司)
※この記事の後編は、3月7日(金)に掲載します。
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