どん底だった、私たちの20代を越えて 女子76世代、あのスター社員たちが語る
――その当時は最低評価をどのように受け止めていらしたのでしょうか?
白井:いちばん最低の評価がついたのは、たしか28歳ぐらいのときです。社内にしか知り合いがいなくて、社内であったことを愚痴り合うために飲みに行く、ということを週に何日もしていて、悪循環に陥っていましたね。
――後ほど、それをどう抜け出されたのかを聞いてみたいと思います。伊藤さんと小林さんはちょっと共通項があって、おふたりとも最初に就職した会社を結婚退職されているんですよね?
伊藤:はい、昔で言うと寿退社ですね。新卒で今とは別の会社に入社したのですが、そこで夫が転勤になりました。会社を辞めて、夫の赴任先に一緒について行って3年間専業主婦をしていました。
小林:私もまったく同じなんですけど、日本コカ・コーラに入社して4年半ほどで、主人が転勤で北海道に行くことになったので、一緒についていくということで辞めました。
――4年働いていたら仕事の面白さも感じられたと思うのですが、そこに躊躇はなかったのですか?
小林:また仕事をしたくなったら考えればいいし、そこでできることから始めればいいかなと思って、意外と躊躇はなかったですね。
――それぞれ、実際の専業主婦生活はどうでした?
小林:私の場合、主人の転勤でついて行った北海道は、ちょうど雪がどんどん降ってくる時期だったのです。生まれが静岡県で雪がまったく降らない地域で育ったので、もうどうしていいかわからなくなってしまって。半年間、家から出ない生活をしていました。いわゆる引きこもっている状態でした。縁もゆかりもないこの土地でこのままいたら、私は本当にどうなるのだろうと思いましたね。
伊藤:私は結婚が早くて1990年代後半だったのです。ちょうどその頃、社会の働き方が変わる時期だったと思います。そんな中でいったいこの先、自分はどうしていこうかと考えたときに答えが見つからなくて、非常に焦っていました。
白井さんを変えた、母校でのMBA
――皆さん決して順調ではなくて、一度は挫折感を経験されているという共通項があります。白井さんは最低評価を受けたどん底時代から、どうやって抜け出していかれたのですか?
白井:そうですね、どん底の28歳ぐらいのときは、そもそも仕事がなくて、朝、会社に行って「私、なにしよう?」とただ座っているだけみたいな日があって。これはちょっとまずいなと、さすがに思いました。そういうときに母校の法政大学の大学院の募集を見たのです。MBA(経営学修士)を取るために一念発起して応募してみようと思い、大学院に入るための予備校にも通って、秋の入試に受かりました。