開発の裏に女性6人、電子コンピュータ誕生秘話 歴史から見る女性は理系科目が苦手は本当か

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戦争はすでに終わっていたが、ENIACに課せられたのはやはり兵器関連の仕事だった。ニューメキシコ州ロスアラモスの原子力兵器研究所からもたらされた極秘任務は、ハンガリー生まれの理論物理学者エドワード・テラーが考案した水素爆弾「スーパー」の核融合反応動作の分析。1000万分の1秒ごとに反応の強さを計算しなければならない。

世界初電子式コンピュータ登場

兵器関連の機密扱いの任務を終えるまで、秘密とされていたENIACがようやく一般公開されることになったのは1946年2月15日。ゴールドスタインはお披露目の目玉として、ミサイルの弾道計算をデモンストレーションにしようと考えた。

「公開まであと2週間だ。間に合わせるようにENIACをプログラミングできるか?」

ゴールドスタインの自宅に呼ばれたジーン・ジェニングスとベティ・スナイダーは「もちろんです!」と即答した。

さっそくメモリーバスを正しいユニットに接続し、プログラムトレイを設定していく。デモンストレーションの成否は彼女たちにかかっていると、男性たちも理解していた。モークリーは日曜日にアンズ酒を、ペンシルベニア大学工学部の学部長は数日後にウイスキーをもって陣中見舞いに訪れた。

デモンストレーションの前日はバレンタインデーだった。いつもなら友達と大いに盛り上がるところだったが、ジェニングスもスナイダーも仕事にかかりきりで顔さえ出さなかった。どうしても直らない不具合が1つあったのだ。

プログラムは見事に動いて、砲弾の軌道に関するデータを吐き出すのだが、なぜか停止しない。砲弾が地面にぶつかってからも軌道計算をやめず、まるで仮想の砲弾が空中を飛んできたのと同じ速度で穴を掘り続けているようだった。ジェニングスは語る。

「この不具合を直さない限り、デモンストレーションの場でENIACの発明者もエンジニアも恥をかくのは明らかでした」

記者発表の前日深夜まで頑張ったが、不具合は解決できない。2人はついに諦め、スナイダーは最終列車で帰宅したが、ベッドの中で原因に気づく。

「何が悪いのか気になって明け方近くに目が覚めてしまいました。そして、ある線を調べたくていつもより早い列車で顔を出したのです」

原因は、DOループの終わりにあった。その設定で、数字がひと桁ずれていたのだ! ジェニングスは、こう振り返る。

「ベティは、寝ているときでも普通の人が起きているとき以上に論理的な思考ができるのでしょう。意識的な思考で解けなかった謎を、潜在意識が解いてくれたのです」

こうしてデモンストレーションは、大成功を収める。ENIACはミサイルの弾道計算を15秒で実行。人間が計算したのでは微分解析機を使ったとしても数週間はかかる仕事だ。劇的な成果だった。女性たちは、見事にENIACをプログラミングしたのである。

「電子計算機が一瞬で答えをはじき出す、工学技術が加速する可能性も」

デモンストレーションは大成功を収め、お披露目の様子は、ニューヨークタイムズ紙の一面に掲載された。

「このロボットは、万人の生活水準を引き上げる数学的手法を切り開いた」

こう書きたてたのはAP通信。この日のデモンストレーションこそ、のちに映画やテレビで定番となる、電子式コンピュータ誕生の画期的シーンだった。

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