開発の裏に女性6人、電子コンピュータ誕生秘話 歴史から見る女性は理系科目が苦手は本当か

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デモンストレーション成功の夜、ペンシルベニア大学が誇る伝統のヒューストンホールで、豪華なディナーパーティーが開かれた。科学界の名士、陸軍上層部、そしてENIACに携わった男性陣のほとんどが出席。だが、そこにはジェニングスとスナイダーをはじめとする、6人の理系女性の姿はなかった。

「ベティも私も、招待されなかったのです。ちょっとショックでした」

彼女たちはデモンストレーションの後には無視され、忘れ去られたというのだ。

「すばらしい映画に出演していたのに、それがいきなり暗転したようでした。驚くような結果を示そうと2週間もの間死にもの狂いで働いたあげく、脚本から消されてしまったのです」

その後もコンピュータ時代の始まりを支えた

女性プログラマーはペンシルベニア大学で一緒に働いたにもかかわらずENIAC披露パーティーに招待されなかったわけだが、ENIACの発明者モークリーとエッカートは彼女たちの価値を理解していた。そののちも、女性プログラマーたちはデジタル革命史の中で重要な役割を果たしている。

ベティ・スナイダーとジーン・ジェニングスは、結婚後も引き続きモークリーらの下で働き、スナイダーはプログラマーの草分けとしてプログラミング言語COBOLとFortranの開発に携わった。ケイ・マクナルティはモークリーにリクルートではなくプロポーズされ、5人の子宝に恵まれた。同時に彼女は長年にわたって、UNIVACのソフトウェア設計に尽力することになる。

2011年に死去する少し前に、ジーン・ジェニングス・バーティックはこう語っている。

「私たちが一人前になったのは、女性の就職先がまだ限られている時代でしたが、コンピュータ時代の始まりを支えたのは、私たちです」

『イノベーターズⅠ・Ⅱ』著:ウォルター・アイザックソン 翻訳:井口耕二(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

それが可能だったのは、この当時たくさんの女性が数学を学んでおり、そのスキルが必要とされたからだ。また、皮肉が働いた結果でもある。おもちゃを手にした男性たちは、ハードウェアを組み上げることこそ価値の高い仕事、つまり男性の仕事だと思い込んでいたのだ。ジェニングスはこう続けている。

「アメリカの科学技術界は、今よりずっと男女差別が激しかった。ENIACの責任者たちが、電子コンピュータの動作にプログラミングがどれほど不可欠か、プログラミングがどれほど複雑なものかを知っていたら、それほど大事な役目を女に任せようなんて、思わなかったのではないでしょうか」

ウォルター・アイザックソン テュレーン大学歴史学教授

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Walter Isaacson

1952年生まれ。ハーバード大学で歴史と文学の学位を取得後、オックスフォード大学に進んで哲学、政治学、経済学の修士号を取得。英国『サンデー・タイムズ』紙、米国『TIME』誌編集長を経て、2001年にCNNのCEOに就任。ジャーナリストであるとともに伝記作家でもある。2003年よりアスペン研究所特別研究員。テュレーン大学歴史学教授。

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