「営業万能」と語る34歳ベンチャー社長の行動術 空き駐車場予約アプリ「akippa」社長に聞いた

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そんな金谷さんの運命が変わったのは、20歳の頃。当時付き合っていた彼女とのデートの帰り道だった。金谷さんが財布を開けると、200円しかない。一方彼女は、財布を持ってきてすらいなかった。電車代は一人270円。彼女に「歩いて帰ろう?」と懇願するも「嫌だ!」と一蹴されてしまった金谷さんは、頭を抱えた。

「ちょうど雨が降ってきたので、近くにあった100円均一で、傘を2本買ってきました。その後、持っていた紙に1本300円と書いて、2人組のサラリーマンに売ったんです」

安く仕入れたものを高く売る。これぞ商売の基本だが、この状況でそんなことを思いつく人はなかなかいないだろう。この時から、金谷さんの人生の歯車は勢いよく回り始める。

「それからは『物を安く仕入れて高く売れば利益が残る』ということに味をしめて、いろんな物を売りました。1本39円でジュースを仕入れて花火大会で150円で売ったりして。商売というものが、面白くて仕方なかったですね。初めてサッカー以外のことに興味を持った出来事でした」

akippa株式会社 代表取締役社長 CEO 金谷元気さん 1984年生まれ。“世界一のサッカー選手”になるべくJリーガーを目指し、関西リーグなどで プレー。ザスパクサツ群馬の練習生として活動するもプロ契約はならず引退。その後、2年に亘って上場企業で営業を経験し、2009年2月に24歳でakippaの前身となる企業を創業した(写真:大室倫子)

日々さまざまなモノを売り歩きながら、サイバーエージェントの藤田晋さんや堀江貴文さんの書籍などを読み漁るように。次第に「自分も起業して、本格的に商売をやってみたい」という気持ちが大きく膨らんでいった。

そんな気持ちと向き合うため、22歳の時サッカー人生最後のチャレンジに打って出る。当時J2リーグのザスパクサツ群馬の練習生だった金谷さんは、プロ契約を目指してテストを受けたのだ。

22歳といえば、同級生は大学を卒業するタイミング。これがラストチャンスだと決め、最後のテストに臨んだ。しかし、結果はあえなく不合格で、サッカー選手を引退することに。金谷さんは「今思うとサッカーより起業への熱が高まっていることを、薄々感じていたのかもしれません」と当時を振り返った。

営業会社を立ち上げるも、銀行残高1万円の窮地に

「まずは社会のことを知ろう」と考えた金谷さんは、社員数1000人ほどの通信系上場企業に入社し、営業職として社会人人生をスタート。「自分で商売をやっていた経験もありましたし、営業が向いていたんだと思います」とやんわり笑った。

「当時は、携帯電話や回線の契約を取る営業をしていました。今までのアルバイトと違って、目標数字が達成できるなら、いかようにもやり方を考えられるのが営業の面白いところです。だからこそ用意されたスクリプトを読み上げるだけの営業だとつまらないなって思っていて。

例えば『1件売れたらそのやり方を4倍速でやってみよう』とか、『目標数字は1週間でさっさと達成しちゃって、あとは自分が決めた数字を追おう』といった“自分ルール”をつくって、営業を楽しんでいました。とにかく爆速で売り上げを伸ばす方法を試行錯誤した2年間でしたね」

その後「マネジャーに昇格したら会社を辞めて起業する」と決めていた金谷さんは、社内最速レベルの2年でマネジャーとなり会社を辞めて、自分で新会社を立ち上げた。前職での経験を生かし、携帯電話、OA機器、ウォーターサーバー、通信サービスなどを販売する営業会社だ。

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