乙武洋匡「義足歩行の挑戦はまだ終わってない」 誰かの役に立つかもしれないから頑張れる
――乙武さんはこれまで30冊ほどの著書を書かれてきていますが、『四肢奮迅』の位置づけは?
これまでの本は、私が伝えたいことをストレートに伝えた本でしたが、このプロジェクトにおいては、私は広告塔であるという意識があります。「乙武を起用することで、プロジェクトの意義を多くの人に伝える」ということが遠藤さんの目論見です。このテクノロジーを多くの人に伝えることが、私に課せられている使命だと思っています。そういった意味で、広告塔の一環としてこの書籍を書きました。
正直に言うと、これまでに私が書いてきた本とは、理念が衝突する部分があります。私は、金子みすゞさんの詩にある「みんなちがって、みんないい」という言葉を非常に大切にしてきました。人と違っていることは否定するものではなく当然なことで、むしろ価値があるという想いが、今までの著書には通底していました。
ところがこのプロジェクトに関しては、そういった私の想いとは相反するものがあります。足に障害を抱える人が便利に移動するということだけを考えれば、なにも義足ではなく、車いすの移動を考えてもいいわけですし、車いすをもっと進化させたようなパーソナルモビリティーが開発されるほうが楽です。
それでも中途障害の人が義足にこだわる理由の1つには、「自然な形で歩いて町のなかで健常者に溶け込みたい」という想いがあるからだそうです。そこは、私自身はまったくこだわっていない部分です。むしろ私は、「人と違ったっていいじゃないか」というメッセージを発信してきた人間なので、共感はできないのです。
だけど今回のプロジェクトにおいては、私自身がどう考えているかということは、1度切り離して考える必要があり、この技術が結果的に誰かの役に立つのかどうか、これによって救われる人がいるのかどうか、ということを大事にしたいと思っています。
私が今まで発信してきたものとは矛盾しますが、時には自分と相容れない考えを持つ方のために尽力することがあってもいいかなと。これが今まで私が30冊出してきた本の中での特異性ではあるかな、と思います。
プロジェクトの意義を多くの方に伝えたかった
――乙武さん自身に変化はありましたか?
本を出版し、いろんなメディアが取り上げてくださったことで、遠藤さんが思い描いていた「乙武を起用することによってこのプロジェクトの意義を多くの方に伝える」という目的を、ある程度は達成できたという意味で、ちょっとホッとしています。
『五体不満足』という本を出して、そこから自分なりに、世のため人のためという思いで活動してきたつもりでした。それが3年半前のスキャンダルで、そういったことが許されない状態になってしまい、人生の後半戦の希望もやりがいも見いだせなかった中、義足プロジェクトという課題を与えていただきました。
もう1度誰かの役に立てるかもしれないというチャンスをいただけたのです。それまでは頭や口を動かすことで人の役に立とうとしていた人間が、慣れない身体を必死に動かすという手段で、もう1度挑戦することができたのです。
どこまでいけば「やり遂げる」というのかわからないけれど、納得いくまでやりたいですね。「この本で一区切り」ではなく、まだ一区切りがつけられていないのです。
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