まるで戦場「香港の大学」でその時何が起きたか それでも日本人研究者の彼が香港に残る理由

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11月17日正午ごろ、香港理工大学の正門前に築かれたバリケード(写真提供:石井大智)

――これまで「デモの主体は学生」「勇武派は香港の現状に不満がある、貧しい若者たち」という報道もなされてきました。

そうとは限りません。勇武派の中にもいわゆる有名大学の在校生もいますし、若い女性たちもいます。中文大の衝突現場でも、10代後半か、せいぜい20代前半に見える女性がせっせと火炎瓶を作っているのを目にしました。デモ参加者の層も広がってきています。「香港人が」「デモ隊が」という主語で物事を語ろうとしても、その当事者は誰なのか、定義するのが極めて難しくなっています。

肥大した主語が陰謀論を招く

――香港のデモはなぜここまで過激化したと思いますか。

日本とは異なる社会構造が一因だと思います。香港には日本のような普通選挙制度がありません。政府への不満は、最後にはデモで訴えるしかないということになる。そしてその延長線上に、今の暴力的にも見える行為があるのではないでしょうか。人々が政治に参加できる手段が整えられていない。だからこそ、みんなが冷静さを失い、社会全体が巻き込まれていく。

メディアの映し方も一因だと思います。どうしても、自己の主張に合う過激な面を描いてしまう。やはりそうなると、社会全体で長期的な目線で議論をすることはできなくなってしまいますね。

とくに香港にいて感じるのは、香港のメディアと日本のメディアは、事実の切り出し方から異なります。香港では、デモ隊の呼称1つとっても、あるメディアが「英雄」として称える一方で、別のメディアは「ゴキブリ」と呼んだりする。事実が一部分だけ切り取られていたり、歪曲されていたりすることも珍しくありません。

日本の朝日新聞と産経新聞の違いなんて、比ではありませんよ。自分が普段どのメディアを見ているかによって、政治的立ち位置がおのずと変わってきてしまいます。認識している情報もまったく違うために、そもそも議論のスタート地点に立てないわけですね。

しかしこれは、自分自身にも言えることで、私も自身のイデオロギーから逃れることはできません。どれだけまっさらになって考えようとしても、私自身は、人権や自由といった、ある種「西側的」とも言える価値観が思考の前提からなくなることはありません。

――デモに参加している同年代の若者たちに何か言いたいことは。

正直なところ、彼らにどんな言葉をかければいいのか、彼らをどう理解すべきなのかわかっていません。デモが過激化してしまったことに対して「政府や警察に責任がないわけがない」という考え方もよく分かる。一方で、このまま過激なデモを続けても、当初目指していたものは得られるのか。どこかで立ち止まらないといけないと思うわけです。

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