映画化で浮かれた医師が挫折から立ち直れた訳 葉田甲太氏「僕を突き動かした単純なこと」

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そんな中、小学校への継続支援のために訪れたカンボジアで、生後22日目の赤ちゃんを亡くしたお母さんと出会った。お墓の前で泣いているお母さんを見て、「かわいそうだなー」と思ったと同時に「何もできないし、仕方ない。そういう人もいるよ」と冷淡に思った自分がいた。その時、ポキッという心が折れる音がしたのだ。

医者としてでなく、人間としてもクズになってしまった……。

そこでようやく僕は気づいた。

何を浮かれていたんだろうと……。

かわいそうだと思っても日々の生活に埋没する自分

日本へ戻ってから、また元の生活に戻った。相変わらず仕事に追われ、かわいそうだなーと思ったにもかかわらずカンボジアのお母さんのことも思い出さなくなっていた。

さらに、キャリアや収入にも目が眩み、ボランティアすることの意義が見出せなくなり、小学校への継続支援もあと1~2年でやめようとも思っていた。

僕はクズで、なにもすごくなかった。すごい人は世界にたくさんいるので、その人たちに任せたらいいと思った。

だけど、心はモヤモヤしていた。

本当にそれでいいのか?

自分がしたいことは何だ?

それが、29歳の時だった。

モヤモヤを持ち続けたまま、日々の生活で精一杯になっていた。

そんなとき、知人から熊本で開催される講演会に誘われ、スーダンで地域医療や教育支援を行っている50代の川原尚行先生と出会った。川原先生の言葉は、僕の心を突き動かした。

「俺はね、ドキドキしていたいんだよ。不謹慎かもしれんけど、こうやって活動することで、笑ってくれる人がいる。それがとてもうれしいんだよ」

50代の先生が中2病を超え、小3のようなことを言っていることに驚くとともに、僕はやっと本当にやりたかったことを思い出した。それが「医療が届きにくい僻地に医療を届けること」だった。そのために専門的な知識をつけるべく、長崎大学の熱帯医学研修課程に行き、発展途上国の基礎知識から現場で役に立つ知識まで幅広く学んだ。

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