日本が世界有数のバスキア大国と呼ばれる理由 没後にようやく評価され始めた真の芸術性
アメリカ国内のアカデミズムの世界において、バスキアの正当な評価が遅れたのはなぜなのだろうか。大衆文化を巻き込んだ華やかな商業的成功もその1つと言われるが、中でも、バスキアが正当な美術教育を受けていないこと、そして人種という要因が指摘されてきた。
当時のアメリカのアートシーンは白人の世界であり、バスキアは、黒人であるがゆえに注目されることを大変嫌っていたと言われる。「グラフィティー出身の天才黒人画家」――画廊が戦略的に打ち出したバスキアのイメージは、作品よりもセレブリティーとしての存在への興味を掻き立て、ホイットニー美術館のかつてのキュレーターが嘆いたように、「バスキアが生み出した芸術が真剣で重要なものであることを、しばしば覆い隠してしまった」のである。
しかし、バスキアは中流階級の出身で、幼少期から英才教育を受けていた。父親は会計士で、母親は、4歳の頃からバスキアをブルックリン美術館、MOMA、メトロポリタン美術館などに連れていき、芸術への関心を後押ししている。
レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿の解剖図を勉強
近年では、レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿の解剖図を熱心に勉強していたことをはじめ、バスキアが美術史に明るかったことなどもよく知られている。そして、一見いたずら書きのような画面に、聖書の一節や過去の英雄、消費社会や科学技術の進歩、黒人の差別や戦争、抑圧の歴史など、過去と同時代から切り取られたイメージと文字が何層にも折り重なり、複雑で知的な空間を生み出していることが強調されるようになった。
今やバスキアは、ダ・ヴィンチ、パブロ・ピカソ、サイ・トゥオンブリーなどとの関連で議論されるだけではない。ヒップホップの音楽と同様、アート、音楽、ダンス、ファッションに至るさまざまな要素をサンプリングしミックスする手法や、文学のカット&ペーストの手法である「カットアップ」との関連などが論じられている。
絵画と同じ表現力を持つ文字や記号をテーマにした研究や、黒人や人種問題に対する関心からの研究も進められているのだ。
さて、ここで最初の問いに戻るが、日本の公立美術館がバスキアの大作をいち早くコレクションできたのはなぜだろうか。実は、バスキアが活躍した当時、バブル経済を背景に日本では地方美術館が次々と建設されていた。そして、「ニュー・ペインティング」の画家たちの作品が次々に購入される中、バスキアの作品もコレクションされていった。つまり、「タイミングが良かった」というのが、答えなのである。
しかし、だからと言って、バスキア作品のもつエネルギーと革新性を素直に感じられる環境が日本にあることの否定にはならないだろう。バスキアにおいては、まさに市場こそが勝利を収めた。2年前、日本人がオークションで過去最高額で落札したことは、バスキア芸術への突出した評価の1つの表れであり、バスキアに対する世界的な注目に拍車をかけた。国内の美術館でその大作を鑑賞できることも、日本におけるアドバンテージの1つである。
今回の大規模展を機に、伝統と革新、美術史における位置づけ、といった西洋美術の視点とは一線を画すアプローチにより、日本における再評価が進むかもしれない。
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