「水の不要な消毒液」がアフリカに見つけた金脈 「手を清潔に」を説くサラヤの“きれいごと“
渡邊 佐和子(以下、渡邊):消毒液の製品を売ることには、まず手を洗うという習慣から根付かせることが大事ですよね。
更家:そうなんですよ。“習慣を変える”ということはとても困難で、すごく時間がかかりました。訴え続けるのにもエネルギーが要り、工場ができるまでは皆大変でしたが、何とか乗り切りました。病院などを回り、消毒の必要を伝え続けることで、医療関係者などの間ではそれが習慣化してきました。最初の3年ぐらいは大変でしたね。
真山:習慣化するまでは、サラヤの社員が商品を持って行って、実際にアルコールで洗い消毒を体験してもらい、それによって安全が広がることを実感してもらえるように伝えていかれたということですか?
更家:そうなんですよ。やっぱりみんなに信じてもらい本当に実践してもらわないと、お金はなかなか出ません。
渡邊:確かに、殺菌という工程は目には見えないので、効果が分かりづらいかもしれません。
更家:特に院内感染では病気が目に見えてわかりますので、「やらないとダメじゃないですか」と言ってつつくんですよ。
真山:やっぱり消毒は大事なんだと。
更家:実際に消毒液を使い出すと、それが習慣化していくということです。
消毒するのが当たり前となれば定着化していく
真山:きっと、消毒しないのが普通だったのが、消毒するのが当たり前となることで、今度はこの習慣が勝ち、定着化していくのですね。
更家:日本人も手を洗わない方が調理していると嫌でしょ?
渡邊:そうですね。ちょっと、ん~って思いますね。
更家:そういう空気が大事ですよね。
渡邊:そうか~。みんながそう思うようになることで、消毒液が普及するということですね。
真山:ビジネスとして成立するまでの道のりには、どのようなご苦労がありましたか?
更家:当初はやはり日本人社員に現地駐在員となってもらうのには気を遣いました。実務面では最初の2~3年はなかなか売れず、現地スタッフは相当なストレスとプレッシャーがあったと思います。
真山:現地で流通していなかった消毒液を、安く作れるようにしたことが、売れるようになった突破口に見えます。とは言え遠い異国から来たメーカーの名が通じる訳もなく、「サラヤって何?」というレベルから始めたときに、集中的に営業する先は、やはり病院が最初でしたか?
更家:まず、学校や病院などですが、どちらも予算がないので、国のほうにも掛け合いました。環境を作るのに時間がかかりましたね。