ハンセン病隔離政策で苦しんだ「孤島・長島」の今 「人権の島」を生きた人々の数奇な人生
「僕は邑久高校出身者でもなく、この町にゆかりもない人間なんですね。それで赴任後に、新良田教室の存在を知り、ハンセン病に関してもイチから勉強したんです。最初はね、腫れ物に触れるような雰囲気でした。先生方の中でも、新良田教室の存在を知らない人が大半。『なんでわざわざ昔のことを』というような空気も感じていました。授業の中身もまったくの白紙状態。1年間近くかけて土台作りをして、やっとスタートにこぎ着けました」
田辺氏の不安をよそに、生徒からの関心は予想に反して高かった。同学区では中学時代に人権の授業が組み込まれている学校もあり、「自分の住む地域の歴史を学びたい」という生徒が集まってきた。
今年からはネット上でもニュース配信を試みていき、発信の場を増やしていくという。教育・医療・看護・心理学・裁判・文学そして地域学。多角的な視点でカリキュラムを組んでいる田辺氏だが、最も重視しているのは人との関わり方だそうだ。
「この地域でもハンセン病に関して1人ひとりの温度の差、意識の差というものはあります。
人と接することで頭だけでなく体でも考えてもらい、生徒たちが大人になって、また違う世代にうまく伝えてほしい。幸いなことに、私の授業を受けた生徒たちは、看護職や地元での勤務を希望し、『将来この町に戻ってくる』と話してくれる生徒が大半なんです」
紡がれる思い
新良田の記憶を風化させないために――。そして未来へ。
32年前に閉校した1つの特別教室が、未来へと繋がる懸け橋となったのは1年半前のことだ。新良田教室に関わった人々が発案し、映画という形でその記録を公開するプロジェクトが動き始めた。
長島を舞台とした映画は、『ベルの音が聞こえる』という名前で2020年春に上映予定だ。自主制作映画でありながら、18名のプロジェクト発起人が立ち上がり、資金繰りから監督の調整まですべて自分たちの足で動いた。なお、同作には邑久高校の生徒も出演しているという。紆余曲折を経て上映への準備が進む。
自身の私小説が原案となった山下順三氏に、この映画で伝えたかったことを改めて聞いてみた。
「いたってシンプルですが、『なぜこの国は誤ってしまったのか』ということです。ハンセン病は単なる感染病の一種で、治療で治る病気なんです。それが今でも偏見や差別の対象になっているのは、なぜなのか。そのことを改めて世間に問いたいです」
岡山の孤島を生きた人々が紡いだ想いは、1つの作品として後世へと継がれていく。
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