新しい社会資本を作れば子供や孫の世代も利用できる資産になるが、他方でそれを維持・更新する費用が負担として生じてくる。したがって、社会資本を後世代にできるだけ多く残せばよいというわけではない。
人口が減少していくわが国では、設備の多くで利用者が大きく減少することが予想されるうえ、社会資本整備に割ける資金を大きく伸ばすことも難しくなる。今後老朽化した社会資本ストックが大量に更新を迫られた時に、そのすべて維持したうえで、さらに新しい社会資本の整備を行うことは無理だ。新規に整備を行うためには、どこかで更新費用の捻出できない資産が生じてしまう。
社会資本の維持更新には取捨選択も必要になる
既存の施設を更新するためには、今までの機能を維持しながら作り替えを行うために、追加的な費用も必要になる。例えば、最初に紹介した首都高速道路の例では、海面近くにある道路をもっと高い位置に建設し直すことが計画されている箇所があるが、工事中には迂回路が用意されることになっている。
気候変動による大規模災害への対応など、時代の変化に応じた高性能の設備への切り替えも必要だ。更新工事では最初に建設した時に比べてはるかに費用がかさむことが避けられない。
今後、限られた資金の範囲で新たに必要になる社会資本の整備や既存の施設の維持・更新を行っていくためには、既存の社会資本を、維持すべきもの、維持を断念するものにはっきり区別することが不可欠だ。明確な決断を下さずに老朽化した設備を使い続けると、大きな事故につながる恐れもある。
すべての社会インフラを維持することは困難で、その結果、住み慣れた土地を離れなくてはならない人たちが出てしまうことは辛いことではあるが、一方で、なるべく多くの人が災害や事故から救われることが重要である。英国の思想家トーマス・カーライルは経済学を陰鬱な科学(dismal science)と呼んだ。残念ながら、それは真実で、経済学はわれわれに苦渋の決断を迫ることも多い。
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