「神を祀る存在」天皇とローマ教皇の決定的違い 長い歴史の中で確立された天皇の歴史
では、イスラムの最高権威者であったカリフはどうでしょうか。カリフもまた代理人です。カリフはアラビア語の「ハリーファ」の英語読みで、「代理人」や「後継者」の意味があります。預言者ムハンマド(英語名:マホメット)の代理人であるカリフはあくまで代理人にすぎないため、必ずしもムハンマドの血統を必要としませんでした。
神道と天皇
神の子孫とされる天皇は教皇やカリフなどの代理人とは異なり、血統の原理によって終始、貫かれる存在です。歴史上、世俗の有力者が教皇やカリフの権威に挑み、これを排斥したり、簒奪(さんだつ)したりしました。日本では、源平の武人政権から徳川の江戸幕府に至るまで、いかなる世俗政権もその地位を侵すことはありませんでした。それは天皇の持つ神性の血統が尊重されたからです。中国の皇帝が強大だとしても所詮、俗人(俗権)にすぎず、その地位は簡単に簒奪されました。
歴史上、天皇家が神話というストーリーを駆使して、自らの地位の神性や意義、正統性を周知徹底させて、定着させた戦略は極めて効果的であったと言えます。
天皇家の祖神である太陽神・天照大神をはじめとする自然神を、日本人は民間信仰として広く受け入れ、神々を祭るために神社を各地に建立しました。これが神道です。
日本人は農耕民族であるため、自然によって生かされているという意識を強く持ち、自然を神として畏敬し、崇めました。そして、これらの自然神を祭る存在が天皇であり、天皇を中核として神道による自然信仰が普及しました。
キリスト教やイスラム教などの万物の創造主たる絶対神を崇拝する一神教と異なり、神道はさまざまな自然の神を崇拝する多神教です。緩やかにつながる神々と人間との間の仲介者として天皇が存在するのです。
明治時代に、新政府が天皇を中心とする新国家体制を整備するため、神道を国家権力の保護の下に置き、事実上の国教としました。こうした中で、天皇を現人神(あらひとがみ)と捉え、一部の狂信的な国家主義者が天皇を過剰に神格化しました。
第2次大戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が、天皇を神とすることは許さないとして、天皇に通称「人間宣言」と呼ばれる詔書を発布するように主導しました。どれだけの人が天皇を神と思っていたかは疑問の残るところでもあり、また、昭和天皇自身も自らを神だと言ったことはありませんが、GHQが「天皇が神であることが元凶」と判断し、それを否定するように昭和天皇に要望し、昭和天皇はそんなことを主張したこともないとして受け入れました(なお「人間宣言」という通称は報道側が命名したものにすぎません)。
この詔書で、天皇は自らが神話の神の子孫であることを否定したわけではありません。儀式や祭事を行う神道も否定したわけでもありません。つまり、古来、天皇と日本人が形成してきた穏やかな縁絆は何ひとつ変わることはありませんでした。
天皇や神道の存在は誰かがそれを教条主義的に強制したものではなく、日本の豊かな自然の中で、長い年月をかけて人々の心や社会に浸潤してきました。この包容力のある大らかで力強い伝統と慣習の累積の延長上に、令和という日本の現在があります。
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