「駄目なマニュアル」が組織にのさばる深刻度 世の中、役に立たないマニュアルが多い
「仕事=マニュアルに書かれていること」という認識が職場に染み込む。こうしてマニュアルの整った大企業ほど、前例のないプロジェクトには及び腰になる。
それを横目に、ぽっと出の零細ベンチャーが、新奇な仕事に手を染める。これがビッグビジネスに大化けすることがある。
実際のところ、今をときめくインターネットの巨大企業は、歴史の浅い企業ばかりであり、昔からある大企業をまんまと出し抜いてきた。ネットビジネスに限らず、企業の興亡はこのパターンの繰り返しである。
すでに何らかのマニュアルが職場に存在しているなら、それをそのまま使うということになるのが自然である。活字には一種の魔力があって、活字になっていることで、書類がさも正当であるように見せてしまう。今まで従ってきた文書に疑いを差しはさむ気が起こらない。
しかし、「長年使われ続けているから優秀」という保証はない。古いマニュアルは、時代に合わなくなっている恐れもある。
また、初版発行から時間が経つと、職場での人脈が途絶え、原作者が誰であったのかがわからなくなる。詠み人知らずの古いマニュアルでは、読者がその内容に疑問を持っても、原作者に真意を問い合わせることはできない。
この問題が特に顕著なのが、交通や金融などの社会インフラを支える大規模なコンピューターシステムの業界である。システムがダウンして膨大な業務が麻痺する事故が時折起こる。
その原因はそれぞれ異なるであろうが、遠因はこの業界独特の、ダメな書き方で作られたマニュアルにあると私は思う。いろいろなコンピューターシステム運営会社から、マニュアルの相談を受けることがあったが、だいたいどの社もマニュアルの作りが同じであり、抱える欠陥も共通しているのである。
欠陥だらけのマニュアルを使い続ける現状
社会インフラ向けのコンピューターが日本に導入されはじめたのは、高度経済成長期である。その頃にアメリカから伝来したマニュアルのスタイルが、そのまま日本の標準として現在まで生き残ってしまった。当時の業界は、ごくわずかの大手会社による寡占状態であったから、その大手の多様性に欠ける流儀を金科玉条として日本のどの会社も真似したと思われる。
欠陥だらけのマニュアルであっても、読者は改訂する権限を与えられていないので、嫌々ながらもそれを使い続けるしかないのである。
会社組織というものは、機材や人員、売り上げといった、利潤に直接的に関わる要素には敏感であるが、「マニュアルの質」という間接的要素には鈍感な傾向にある。管理者が、「このマニュアルで、ちゃんと仕事はできているか?」と問うても、現場の人員は「できています」と答えるのが常である。できていなければ責任問題になるからだ。
この返事を真に受けて、管理サイドは何もせず、ダメなマニュアルがのさばっていても、見過ごされる。
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