「駄目なマニュアル」が組織にのさばる深刻度 世の中、役に立たないマニュアルが多い
判断する動機を作業者から奪うために、行動をがんじがらめにするマニュアルが作られることもある。情に流されてはいけない公平性が必要な職務や、良心の呵責を感じさせがちな作業に多く使われる。箸の上げ下ろしまで事細かく指示があり、作業者はそれに従ううちに、操り人形になってしまう。
ひいき目で見れば、これは作業者を統制して、作業の品質を安定させるから、よいことなのではないかと期待したくなる。
しかし実際には、うまくいかない。操り人形と化した作業者は、総合的な判断を放棄してしまい、事故が起きても、何ら危機を感じない。「ゴミが混じっているのは見ましたが、マニュアルにはゴミを取り除けと書いてなかったので、何もしませんでした」といった、事なかれ主義がはびこる。
マニュアルが読者に与えるべきは、「被統制」とは全く逆の「自主的な統制」への助けである。「センス・オブ・コントロール」、つまり、状況全体を把握し、自主的に制御できているという自信がなければ、人間は責任を感じない。それでは、安全も品質も保てない。
アメリカでは、就職する際には、仕事の内容をがっちり規定した「ジョブ・ディスクリプション」という書類を雇用契約の中で交わすことが一般的だ。ジョブ・ディスクリプションに書かれていない行動は、会社から求められていないし、してはならないものと言える。
これを額面どおりに受け取って、自分の仕事以外はゴミも拾わないような、事なかれ主義で働く人も存在する。余計なお節介は、他人の仕事を奪うことになる、と考えているようである。
事なかれ主義がもたらす害
1986年のスペースシャトル・チャレンジャー号の事故では、この弊害がもろに出た。ロケットの部品が何度も使い回されて形が歪んでしまったことを整備部署は知っていながら、マニュアルに規定された検査手順では「合格」となるので、そのまま放置し、爆発するまで使い続けた。
一方で、事なかれ主義の害を知っているアメリカ企業は、職員の自主性を重んじる企業文化を作ろうと努力している。
事なかれ主義、縦割り主義のために、マニュアルが増殖し精緻化するという、病的な現象が会社組織に見受けられる。
創業したばかりの組織は、不定形な仕事を、少ない人員で臨機応変に分担して、こなすしかない。業務の正式な手順はしっかり決まっておらず、明文化された規則なしに、当たって砕けろで仕事に取りかかる。
やがて組織が成長すると、人員は増え、仕事のパターンも安定してくる。各部署の所掌範囲は定まり、「ゴールデン・バッチ」、すなわち、最もうまくいくやり方を繰り返すだけとなる。マニュアルはゴールデン・バッチを詳細に規定し、それから逸脱することを禁ずるようになる。
一方で、まったく新種の仕事や、分担の隙間にあるような仕事は、相手にされなくなり、マニュアルに書かれなくなる。各部署にとって、ゴールデン・バッチ以外の仕事は、効率の悪い厄介ごとであり、門前払いして、他部署に押し付けたいものなのである。
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