日本一予約が取れない美容師、高木琢也の凄み 「不器用でカットが上手いわけでもなかった」
それが正しいって、証明するためには結果が必要でした。皆が「高木には勝てない」って状況をつくるしかなかったんです。
だから、死に物狂いで「速くてうまい」技術を身に付けました。俺はもともと器用な方ではなかったので「人の100倍やらなきゃいけない」と思って、閉店後は夜明けまで練習に打ち込んだし、流行の髪型を知るためにファッション誌を読み漁った。先輩に頭を下げて、自分の髪を切ってもらって、技術を盗んだりもしました。遊んでる暇なんて全くなくて、とにかく自分の考えを証明したい気持ちでいっぱいでしたね。
その結果、23歳でスタイリストデビューして、25歳の時には売上も指名数も店のトップになりました。
でも、結局何も変わらなかったんですよ。むしろ状況はもっと悪くなった。上の人たちは、今までと違うやり方で俺がトップを取ったから、自分のやり方を否定された気分になったんだと思います。
やたら否定されたり、妬まれて、妨害もされて……散々戦ってはいたんですけど、全てダメでした。「それなら、俺のやり方が正しいって証明してやるよ」と独立を決意。27歳の時に『OCEAN TOKYO』を立ち上げて、今は渋谷・原宿・大阪に6店舗展開しています。
目の前のお客さんのNo.1になれば、日本一になれる
25歳で店のトップになってからは、右肩上がりに売上を伸ばしています。数字が落ちたことは一度もありません。
でもそれって、俺が特別「カット技術が優れてる」とかそういうことじゃないんですよ。正直スキルだけでいったら、俺はそこまで上手くないんじゃないかとすら思う。カラーもパーマも、俺より上手い人はたくさんいました。
それでもなぜ今ここまでこれたのかっていうと、月並みな表現になってしまうけど「目の前のお客さまを大切にしたから」の一言に尽きると思うんですよね。
もちろん、俺も始めからちゃんとできていたわけではありません。美容室に就職した時は、出勤初日から「とりあえずカラーぐらいまで覚えたら、辞めようと思ってます」って言い切ってたんですよ(笑)。かなり生意気ですけど、「日本一の美容師になるためには、日本一の美容室に入らなきゃいけない」と思ってたので、早く人気美容室に移りたかったんです。