大坂なおみへのAマッソ「謝罪」に抱く違和感 なぜ名前を出さず「特定の方」「ご本人」なのか

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だからこうした状況にまったくうぶというわけではない。だが私が我慢できないのはその背景にあった現実だ。 彼女がとても日本的で、出る釘は打たれるという考え方の下で育てられた。それがあまりにも心に深く刻まれていたため、こうした行為が非人間的で屈辱的であることをあまり認識していなかったことだ。そこが私を非常に悲しい気持ちにした。

Aマッソは、当たり前だが冗談を言っただけだ。だが、その冗談はまったく面白くない考え方を映し出していた。多様性を認めず、差別をしても罰を受けない考え方だ。

あの冗談は、大坂だけをピンポイントに対象としたものではないことを私たちは知っている。散弾銃のように、私の元彼女や日本人らしくない外見の日本人すべてに対して向けられているのだ。そしてその延長線上には、漂白剤が使えそうな茶色の肌の日本人以外の人たちがいる。

Aマッソの冗談は「ミス」ではない

世界の多くの人が来年、褐色の肌をした大坂なおみが日本に金メダルをもたらすべく闘う試合を観戦しに日本へ(物理的に、あるいは精神的に)やってくる。そしてもちろん日本は、彼女がこの国を代表して表彰台に上がることになったときに、肌の色を理由に大坂(と彼女のような外見の人)を受け入れられない人がいるという事実に、大坂が胸を痛めるような状況を望んでいないだろう。

だから、今こそ日本人は次のことを理解して認めなくてはならない。「世界」を代表する人々はすでにこの国で生活し、人を愛し、子育てをし、税金を納めて、日本国内でより必要とされてきている多様性のニーズを満たしてくれているのだ。

Aマッソの冗談は「ミス」ではない。彼女たちは、あの冗談に込められた真実はウケると思っていたのだろう。日本は目下、単一に近い社会から多様社会へ移行しようとしている。これは決して楽なことではなく、この変化の過程で日本人、そして非日本人の多くの人が、自らが変わることを求められたり、居心地の悪い思いをしたりするだろう。

とくにお笑い芸人は、誰のことも傷つけずに笑いをとらなければいけない、という難しい課題に直面している。これまでよりずっと繊細で良心的であることを求められているのだから。

バイエ・マクニール 作家

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Baye McNeil

2004年来日。作家として日本での生活に関して2作品上梓したほか、ジャパン・タイムズ紙のコラムニストとして、日本に住むアフリカ系の人々の生活について執筆。また、日本における人種や多様化問題についての講演やワークショップも行っている。ジャズと映画、そしてラーメンをこよなく愛する。現在、第1作を翻訳中。

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