1986年「ベルリンの壁」で見た東側の強烈な印象 「国境」を越えるとすべてが本当に変わった

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世界中を回り、さまざまな国境を見てきた筆者が、いまも忘れられない想いとは…(写真:LEON編集部)

東西冷戦の象徴、「ベルリンの壁」に初めて行ったのは1986年。「壁の崩壊」は1989年暮れ頃だったから、その3年ほど前になる。

西ベルリンにどんな経緯で行ったかは覚えていないが、1人で行った。たぶん、ドイツでの取材があった折にでも絡ませたのだろう。

豊かで煌びやかだった西ベルリンの街

西ドイツ(フランクフルトだったかと思う)から西ベルリンへの移動は、今や懐かしいアメリカの航空会社、Pan Am機で飛んだ。

西ベルリンの街は豊かで煌びやかだった。貧しい東ドイツのド真ん中で、「西側の繁栄を見せびらかすショーケース」のようだった。いや、事実、そんな役割を担っていたはずだ。

本記事はLEON.JPの提供記事です

東西ベルリンを往き来する唯一の境界検問所、「チェックポイント・チャーリー」付近が観光客の訪れる中心地だったが、この周辺の店に並ぶ商品は「豊かそのもの」。店構えも、ショーケースも、商品も、、すべてが輝いていた。豊かさを誇示していた。

チェックポイント・チャーリーに近い壁は上れるようになっていて、上ると東側が見える。東側に入らず、壁の上から眺めただけで、西と東の違いははっきり感じ取れた。

「西と東」の違い、、豊かさの格差は想像をはるかに超えるものだった。「冷酷な格差」とさえいっていいほどの違いを目の当たりにした。

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