1986年「ベルリンの壁」で見た東側の強烈な印象 「国境」を越えるとすべてが本当に変わった

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でも、、豊かではないかもしれないが、メキシコの人たちは明るい。街も生き生きしている。すべてが死んでいるかのような東ベルリンとはまったく違った。

貧しさは同じなのかもしれない。が、メキシコには自由と南国の明るい空があるからか、街も人々も生き生きしてみえた。なにかはわからないけれど、希望が感じられた。

それに対して、「壁の向こうの東ベルリン」には、自由もなければ希望もなかったのだろう。人々にとって、家に閉じこもるのがいちばん楽な選択肢だったのかもしれない。

国境という一本の線で、天国と地獄ほどの違いも

国境越えで、とんでもない経験をしたことがある。陸路でイランからアフガニスタンに入った時の出来事だ。

1977年だったと思う。アフガニスタン紛争は1978年に始まり、今に至るまで形を変えながら続いているが、1977年にはすでに不穏な状況が報じられていた。

そんな情勢の中、僕はクルマでイラン/アフガニスタンの国境を越えたのだが、、その時、後にも先にもない貴重な?経験をした。

アフガニスタン側検問所手前でクルマを停め、僕が1人で車両関係書類をもって検問所建屋に向かった。

そのとき、不意に男が1人表れ、僕に近寄ってきた。で、その手には拳銃が!!

銃口を向けてもいなかったし、引き金に指をかけていたわけでもなかった、、が、当然びびった。身体が硬直した。同行の2人はクルマの中にいて、気がついていなかった。

男は立ちすくむ僕に英語でこう言った。「アフガニスタンはとても危険だから、身を守るために銃が必要だ。安くするから」と。

すぐ車内の2人にも出てきてもらい、3人で丁重に断った。それでも食らいついてきたが、「銃を撃ったことがないので、買っても使えない」のひと言でようやく引き下がった。

当然、警察官もいるアフガン検問所の目と鼻の先でのことだから信じがたいが、たぶん、「見て見ぬふりという暗黙のルール」になっていたのだろう。

多くの国境を越えたが、いわば一本の線のこちら側とあちら側での違い、時には天国と地獄が隣り合わせているような違いも見てきた。

理屈ではわかっていても、国境を挟んでの現実を目の前にすると、心は乱れる。すごく困惑する。いくら多くの経験を積んでも、このことに馴れることはない。

文/岡崎 宏司(自動車ジャーナリスト)

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