1986年「ベルリンの壁」で見た東側の強烈な印象 「国境」を越えるとすべてが本当に変わった
壁の上から見えた東ベルリンはシンと静まりかえっていた。豊かさと煌びやかさと喧騒に包まれた西ベルリンを背に、死んだような静けさに包まれた東ベルリンを見る、、その時の僕は、驚きというよりも、恐怖に近いものを感じていたように記憶している。
中層のビルが建ち並んでいたが、その多くはアパートと聞いた。みな同じような形の古びた建物で、整然とはしているのだが、くすんだように赤茶けて見える。
そんな街並にほとんど人影が見られないのにも愕然とさせられた。ときどき、背中を丸めたようなお年寄りがポツンポツンと見られただけ。この町は「廃墟か」と思ったほどだ。
「東ドイツの終焉」を否応なく予感させた東ベルリン
クルマもたまに見かけるだけ。それも、2サイクル・2気筒のエンジンから白い煙を吐き出しながら走るトラバントとなれば、もの哀しさを募らせるばかりだ。
それにしても、どうしてこれほどまでに「人の生活感」が感じられないのか。どうにも理解がつかなかった。
「東側」の国にもいくつか行ったことはあるし、貧しい国にもいくつも行った。が、背筋がヒンヤリするほどの空疎な感覚を覚えたことはなかった。
西側の人に見られる場所なら、ふつうは虚飾ではあっても街をきれいに見せ、賑わいを見せようとするものだろうと思うのだが、、その気配すらなかった。不思議さを通り越して、ただただ不気味だった。「東ドイツが終焉に近い」ことを否応なく印象づけられた。
話しは同時期のアメリカとメキシコの国境に飛ぶ。サンディエゴからティファナに入るルートはすでに何度か往復していたが、回を重ねても強烈な印象に馴れることはなかった。
「国境」を越えると、すべてが、、ほんとうにすべてが変わってしまう。
サンディエゴまで、いや、メキシコとの国境までのアメリカ側は、木々が豊かな葉を茂らせ、こぎれいな家が整然と連なり、その庭は緑の芝生で覆われている。道路も完全に整備されている。
しかし、国境を越えメキシコに入ったとたん、景色はガラリと変わる。いや、景色だけではない。すべてが変わる。
芝生も含めて緑はグンと少なくなり、道路は狭くなり、ショッピングエリアの家並みは煩雑になり、派手な色が目を刺激する。
丘稜地の住宅地もまた、煩雑に隙間なく家が埋め尽くし、緑といえば、大小の木々が脈絡無くポツンポツンと見えるだけだ。
ティファナの街には多くのクルマが走っているが、いいクルマ、新しいクルマはアメリカナンバーが多い。そして街を出ると、クルマは一気に少なくなり、道路の整備状態もまた一気に悪くなる。