ジミー・ライ氏が語る「香港騒乱」のゆくえ 普選なしでは香港は永遠に中国に鎮圧される
デモで香港市民全体が変わった
――デモを振り返って、どう受け止めていますか。
天安門事件追悼行事は今年30周年を迎え、今年の参加者は例年よりも多い18万人に達した。その直後に逃亡犯条例改正問題が浮上。当初、一般市民はこの条例がどのような影響をもたらすのか、よく理解していなかった。
最初の抗議活動は1万3000人程度しか参加者を集めることができなかった。しかし、この条例がわれわれの法治や人権、自由を取り上げるものであることが理解されると、2回目のデモは16万人、6月9日には100万人を超える市民が参加した。しかし、キャリー・ラム(林鄭月娥・香港特別行政区行政長官)は強引な手法で条例の成立を図ったため、香港人の怒りに火を付けたのだ。
おまけにキャリー・ラムは100万人デモの直後、平和的な抗議活動を「暴乱」、デモ参加者を「暴徒」と定義した。暴乱で逮捕されると、刑期は10年になる。だから、香港人はさらに激怒し、200万人がデモに参加した。
われわれ(の世代)はこれまで、「和理非」の精神で活動をしてきた。つまり、「和平」(平和)、「理智」(理性的)、「非暴力」(非暴力的)だ。今回、82%の香港市民は(このデモに参加した人々に)同情していることがすぐにわかった。香港全体が彼らの活動で変わったのだ。
和理非世代は30年闘っても何の成果も得られなかった。それどころか、香港の自由は益々失われていった。だから、若者が対抗という手法で抗争を続けることを認めたのだ。
この3カ月の間、多くのことが起きた。1000人以上の若者が逮捕され、暴力を受けた。(逃亡犯条例に)反対するために自殺してしまった人もいる。
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