米国の頂点に立つシェフ、B級料理を変える 米国ワインの聖地、ナパを有名にした男

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冷蔵庫から取り出したチキンを室温にまで戻すこと、ウィッシュボーン(胸の叉骨)を取り除いてチキンを柔軟にし、後の切り分けも簡単にすること、オーブンの熱が万遍なく伝わるようにチキンを整えて縛る方法など、下ごしらえの本当の理由を教えてくれ、さらに彼の経験に基づいた知恵も伝えてくれるのだ。

「塩こしょうで味を整える」などとよくサラっと書かれていることにも、彼はこだわるべきだと言う。先に振る塩こしょうと、後の塩こしょうの違い、味を引き出す塩こしょうと味をつける塩こしょうの違いなどを丁寧に説明する。また、グルメの間ではやっている高級な塩、エキゾチックな塩などは、料理中はまったく使う必要なし、と断言する。そんな塩は、最後の風味づけのものという。非常に実践的だ。

隠し味もある。たとえばオリーブオイルと塩で漬け込んだレモンは、魚やチキン料理、サラダなどに少し入れるだけで、料理の格が何段階も上がったように感じられる。ちょっとした工夫だが、これはケラーが何十年もの経験の中で学んだ方法を教えてくれているわけだ。だが、このレモンを作るのはけっこう手間がかかる。怠け者ではおいしいものは作れません、ということなのだろう。

ケラーは、シェフとしていつも成功してきたわけではなかった。若い頃からキッチンで修行を積み、ニューヨークやパリの有名レストランでも働いた。ウォールストリートで自身のレストランが大人気になったこともあったが、1980年代初頭の株市場暴落で店を去らざるをえなくなった。ナパにフレンチ・ランドリーを開店した頃はほぼ文無しで、クレジットカードで借金をし、投資家から資金を集めての懸けだった。

だが、たゆみない探究心で独自の味を確立。そして、複雑なプロの手腕を、万人用に再解釈して披露する広い心の持ち主でもあるようだ。スター・シェフだが、ただのスター・シェフではない。それかトーマス・ケラーの魅力だ。

瀧口 範子 ジャーナリスト

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たきぐち のりこ / Noriko Takiguchi

フリーランスの編集者・ジャーナリスト。シリコンバレー在住。テクノロジー、ビジネス、政治、文化、社会一般に関する記事を新聞、雑誌に幅広く寄稿する。著書に『なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか? 世界一IQが高い町の「壁なし」思考習慣』『行動主義:レム・コールハース ドキュメント』『にほんの建築家:伊東豊雄・観察記』、訳書に『ソフトウェアの達人たち:認知科学からのアプローチ』(テリー・ウィノグラード編著)、『独裁体制から民主主義へ:権力に対抗するための教科書』(ジーン・シャープ著)などがある。

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