五輪で人生激変!小鴨由水が歩んだ過酷な人生 マラソン代表選考騒動に巻き込まれた代表選手
そしてオリンピックの2カ月前、合宿地のアメリカで、小鴨は鈴木監督にこう訴えた。
「オリンピックに出たくない」
オリンピックに出られたとしても結果が出せる自信がないから、出たくない。辞退したいと本気で考えた。
この一大事に、小鴨の父と中学時代の恩師・荻野卓(おぎの・たかし)先生が日本から駆けつけた。かつて小鴨に走る楽しさを教えてくれた荻野先生は「楽しんで走る姿を大切な人たちに見せることが大切だ」と小鴨を諭した。
一度は本気でオリンピック辞退を考えた小鴨だったが、荻野先生の助言を受け、考えを改めた。
「これまでは自分のために走っていたのですが、応援してくれる人のためにオリンピックで走ろうと思いました」
オリンピックでのメダルという世間の期待は、20歳の小鴨にとっては高すぎる目標だった。メダルのために走るのではない。これまで自分に力を与え、支えになってくれた身近で大切な人たちのために走る。そう心に決めたことで、燃え尽きてしまった小鴨の闘志に再び火がついた。
一方、小鴨の決意が固まったころ、日本では辞退発言が報道されてしまい、騒動になっていた。この事態に、小鴨と鈴木監督は緊急帰国を余儀なくされた。メダルを期待された選手の進退には大きな関心が集まり、成田空港には大勢のマスコミが押し寄せた。その晩、小鴨に事情を聴いた日本陸上競技連盟が緊急記者会見を開いた。
「『大丈夫です』『やります』ということで、(小鴨)本人から報告を受けました」と、代表辞退報道を正式に否定。これにより、騒動はようやく沈静化した。
バルセロナ五輪まで残りわずか。走る意味を見つけた小鴨が、もう迷うことはなかった。
大切な人たちのために走りきる
小鴨が鮮烈なデビューを果たした大阪国際女子マラソンから、わずか半年。バルセロナ五輪が開幕した。
小鴨は出場選手中、もっとも若い20歳。スタートの合図と同時に、勢いよく飛び出した。集団を引っ張っていく。それが小鴨由水という選手のプレースタイルだった。しかし、このときに関しては「練習不足でした」と語る。
「スタートで飛び出したように見えますよね。ほんとうは、みんながスローペースだったんです。私もいつもよりスローだったんですが、みんなはもっとスローでした。強い選手ほど、我慢してゆっくり集団についていくことができるんです」
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