五輪で人生激変!小鴨由水が歩んだ過酷な人生 マラソン代表選考騒動に巻き込まれた代表選手

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オリンピックイヤーの1992年に、日本最高記録での優勝を果たした小鴨由水。バルセロナ五輪では、待望のメダルを獲得してくれるのではないか。世間の関心は小鴨に集まりつつあった。しかし、当の本人はオリンピックを目標としていたわけではなかった。

大阪国際女子マラソンで優勝し代表となった小鴨。『マラソン グランド チャンピオンシップ~東京五輪代表を懸けた運命の決戦へ』はTBSテレビ系列全国ネットで9月11日(水)よる8時~10時に放送(写真:TBSテレビ)  

「大阪国際女子マラソンが終わって皆さんから言われて初めて、『そっか、オリンピックの選考レースだった!』と気づいたんです。

オリンピックに出たいという目標のために練習をしていたならば、次はオリンピック、と準備ができていたと思うんですが……」

走り終えてからオリンピックの選考レースだったことに気づいたという小鴨。では、彼女は何を目標として、このレースを走ったのだろうか。

「陸上を中学からやってきて、一度はフルマラソンを走ってみたいと思っていました。それが私の目標だったんですよね。なので、大阪でスタートラインについたところで、ひとつの目標をクリアしていた。フルマラソンを走れるという喜びが強くて、オリンピックを意識していなかったんですよね」

オリンピックを意識していなかった。そんな本心をよそに、小鴨はバルセロナ五輪の代表に選出された。メダルの期待はさらに大きくなっていく。

しかし、大阪国際女子マラソン以降は、練習や記録会で思うようにタイムが伸びず、納得のいく走りができない状態がしばらく続いた。メダルを期待する世間の声がプレッシャーとなり、それに押しつぶされてしまったかのようにも思える。だが実際はそうではなかったと小鴨は言う。

「プレッシャーで、とはよく言われましたけど、走れなくなったいちばんの原因は、自分が燃え尽きてしまったことなんです。フルマラソンを一度走りたいという目標を達成して、自分が何に向かって走るのか……目標がなくなっていました」

誰のために走るのか

「もちろん皆さんの応援や期待はすごくありがたいし力が出ます」と小鴨。だが、メディアや世間が作り上げた、バルセロナ五輪でのメダルという目標は、小鴨のキャパシティを大きく超えていた。

「それまでは自分が楽しくて走っていたはずなのに」「オリンピックで結果を出すために走ってきたのだろうか」と自問自答を繰り返すうちに迷いが生じた。走らないといけないことはわかっているのに、思うような走りができない。

「走れない時期があって、オリンピックを目指してはいるんですけど、ちゃんとした練習ができていなくて……」

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