五輪で人生激変!小鴨由水が歩んだ過酷な人生 マラソン代表選考騒動に巻き込まれた代表選手
女子マラソン史上、最も熾烈を極めた、1992年バルセロナ五輪の代表選考。有森裕子(ありもり・ゆうこ)と松野明美(まつの・あけみ)が最後の3枠目を争う傍らで、過酷な運命を歩んだ女性がいる。
その名は小鴨由水(こかも・ゆみ)。前代未聞の五輪辞退騒動にまで発展するほど、当時20歳の小鴨は追い込まれていた。あれから27年、小鴨が激動の人生を独白してくれた。
無名のシンデレラガールが五輪へ
アスリートなら誰もが憧れる夢舞台、オリンピック。しかし、今から27年前、バルセロナ五輪女子マラソン代表に選考された小鴨由水にとっては、そうではなかった。
「オリンピックに出たくない」。これが当時の小鴨の偽らざる本音だった……。
オリンピックイヤーの1992年、女子マラソンの代表争いは年明けから白熱した。
代表が発表される3月までに残された選考レースはわずか。
1月26日の大阪国際女子マラソンは、ダイハツの浅利純子(あさり・じゅんこ)や、前年にマラソンに転向した松野明美など、有力選手が多数参加し、特に注目を集めた。そんな中、ある1人の選手が人知れずスタートラインに立っていた。
レースは有力選手が牽制し合う展開で終盤へ。前評判の高かった松野は、35キロメートル地点でスパートをかけた。他の選手を次々とかわし、2位に躍り出る。しかし、前を走る選手との距離だけがいっこうに縮まらない。
「あの選手は誰?」
松野はそう思ったという。松野のはるか前方を走っていた選手こそ、小鴨由水。このレースが人生初めてのフルマラソンだった。元ダイハツの鈴木従道(すずき・つぐみち)監督は、初マラソンの小鴨を出場させた理由をこう語っていた。
「(同じチームの)浅利をなんとかバルセロナ五輪に出したいという狙いで。小鴨には、浅利のペースメーカー的な存在で気楽に走ってくれと」
小鴨は、直接指示を受けたわけではないが、鈴木監督の狙いに気づいていた。
「私はレースを引っ張るタイプで、浅利さんはついていくタイプなので、お互いに持ち味が出ればいいなと、監督は考えていたと思います」
小鴨はそのまま1位を譲ることなく、初めてのフルマラソンを走りきった。なんとタイムは2時間26分26秒。初マラソンにもかかわらず、当時の日本最高記録での優勝。無名の存在だった小鴨は、一躍バルセロナ五輪でメダルを期待される存在になった。
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