五輪で人生激変!小鴨由水が歩んだ過酷な人生 マラソン代表選考騒動に巻き込まれた代表選手
20キロメートル地点を過ぎたころから、小鴨は徐々に失速。いや、スローペースだった集団がスピードを上げたのだろう。次々と後続の選手に追い抜かれてしまう。
有森裕子が銀メダル、山下佐知子(やました・さちこ)が4位と、他の日本代表2人が結果を出す中、小鴨は31人中29位。それでも、途中棄権することなく、2度目のフルマラソンを完走した。
レース後のインタビューで、小鴨はこう語った。
「いい経験をさせてもらったと思うので、これを今後に活かしていきたい」
結果こそ出なかったが、再びフルマラソンを走り抜いた小鴨には、後悔はなかった。
しかし世間の反応は違った。メダルが期待された小鴨に、厳しい視線が浴びせられた。経験が乏しく調子も上がらなかった小鴨を出場させた、鈴木監督を批判する声もあった。代表の3枠目を有森と争い、出場を果たせなかった松野明美を出すべきだったという声が相次いだ。
鈴木監督は後のインタビューでこう語っている。
「『松野を出しとけば良かったな』という声があったかもしれないですが、それは結果論であってナンセンスですよね。小鴨にはオリンピックに出場する権利があったんです。選考レースで勝った選手が出場するのは当然です」
バッシングを浴び続けた小鴨は次第に引きこもるようになった。その後、悩み抜いた末、小鴨は鈴木監督に引退したい旨を伝えた。
小鴨の苦しむ姿を目の当たりにし、懸命に支えてきた鈴木監督には、引き止める言葉はなかった。
小鴨は1993年3月17日、引退会見を開いた。大阪国際女子マラソンでの衝撃的なデビューから、わずか1年余りの早すぎる幕切れだった。
「出たくない選手が出たいと思えるように」
引退後もしばらく、小鴨は自宅に引きこもりがちだった。ストレスによる暴飲暴食で体重が20キロ増加したこともある。
そんな苦しい時期の彼女を陰ながら支えたのは、夫・光司さんだった。引退から5年後、小鴨はパン職人だった光司さんと出会い、結婚した。
「主人はまったく私のことを知らなくて。小鴨って聞いても『変わった名前だね』って感じだったので(笑)。走ることを忘れさせてくれる人だったから、すごく居心地が良かったです」
2人の男の子に恵まれ、幸せな生活を送ってきた。2011年に離婚したものの、週に一度は子どもたちを交えて会う日が続いていた。ところが2014年に光司さんが病に倒れ、そのまま帰らぬ人となる。
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