「子どもを攻撃してしまう親」の悪しき共通点 この手の親は何をしても変わらない

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だが、このように現実をねじ曲げて、いい親だと無理に思い込もうとするからこそ、つらくなる。時には、体の調子が悪くなって、頭痛や腹痛、動悸や吐き気などの症状が出ることもある。だから、ひどい親だということに一刻も早く気づくべきだ。そして、こういう親に理解してもらおうなどという甘い考えを捨てなければならない。 

ひどい親だということに気づいたとたん、これまで親から受けた仕打ちや浴びせられた暴言が脳裏に浮かんで、怒りを覚えるかもしれない。憎しみさえ抱くかもしれない。こんなネガティブな感情を親に対して抱くなんて、とんでもないことだと思う方もいるはずだ。そういう方は「なんて悪い子どもなんだ」と自分を責め、罪悪感を抱くだろうが、その必要はない。

罪悪感を覚える必要はない

なぜかといえば、親に怒りや憎しみを抱くのは、むしろ自然なことで、多少は誰にでもあるからだ。もちろん、親に対して愛情だけを抱くほうがいいに決まっているが、人間の感情はそんなに簡単ではない。むしろ、さまざまな感情が入り交じっている人が圧倒的に多い。

それを見事に言い表したのが、「愛憎一如」という仏教用語である。愛と憎しみは「あざなえる縄」のごとく、密接に結び付いているという意味であり、男女関係でも深く愛すれば愛するほど、裏切られたときの怒りと憎しみは激しくなる。

親子関係でも同様だ。親に愛されたいという愛情欲求が強いからこそ、粗末に扱われたり、ひどい言葉で口汚くののしられたりして、親から愛されていないように感じると、腹が立つ。そして、自分がいくら頑張っても、親の愛情を得られないことを思い知らされると、憎しみさえ覚えるようになる。

『子どもを攻撃せずにはいられない親』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

つまり、親に愛してほしいのに、愛してもらえないからこそ、怒りや憎しみを抱くわけで、その裏側には愛がある。このように愛と憎しみという相反する感情を同一人物に対して抱くことを、精神分析では「アンビヴァレンス(ambivalence)」と呼ぶ。「両価性」と訳され、その意味するところは「愛憎一如」とほぼ同じだ。

仏教と精神分析は全然違う。にもかかわらず、愛と憎しみという相反する感情を同一人物に対して抱きうることを、それぞれが別の言葉で説明したのは、このような精神状態が人間にとって普遍的なものだからだろう。

だから、あなたが親に対して怒りや憎しみを抱いていても、そのことで罪悪感を覚える必要はない。なぜならば、それは強い愛の裏返しだからだ。第一、あなた以外にも、親への怒りや憎しみを抱いている人は少なくない。だから、そういう感情があるのは、人間としてむしろ当たり前なのだと考えるべきだ。そう考えれば、自分を責めずにすむので、気が楽になる。

片田 珠美 精神科医

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かただ たまみ / Tamami Katada

広島県生まれ。大阪大学医学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。京都大学博士(人間・環境学)。フランス政府給費留学生としてパリ第8大学精神分析学部でラカン派の精神分析を学ぶ。DEA(専門研究課程修了証書)取得。2003年度~2016年度、京都大学非常勤講師。臨床経験にもとづいて、犯罪心理や心の病の構造を分析。著書に『他人を攻撃せずにはいられない人』(PHP新書)、『賢く「言い返す」技術』(三笠書房)、『他人をコントロールせずにはいられない人』(朝日新書)など多数。

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