ジャニー喜多川氏の葬式が「家族葬」だった必然 社長とジャニタレとの「家族のような関係」
なので、家族葬を選ぶ人の多くが、「費用負担が少ないから」という理由で選んでいます。ですが実は家族葬を選ぼうが、一般葬を選ぼうが、遺族の費用の負担差はほとんどありません。
確かに参列者が多くなるほど、お返しものや料理、香典返しの出費がかさみます。一方で、受け取る香典の金額も増えるので、参列者が増えたことによる出費は香典収入で相殺できるのです。
こうした誤解はなぜ生まれたのか。それは家族葬が生まれた約20年前と、現在の葬儀を取り巻く状況がかなり変わってしまったためです。
当時は200人以上が参列するという大規模な葬儀も珍しくなく、大きな式場を借りるため式場の使用料や祭壇費用も高額でした。しかし、ご近所や会社関係のコミュニティーが小さくなってしまった現在では、無制限に人を呼んだとしても都市部では参列者が100人を超えることはまれで、通常の葬儀を行ったとしても費用負担は大きくなりません。
家族葬という言葉が独り歩きしたせいか、最近は家族葬の現場で「付き合いの薄い血縁者であっても葬儀に呼ぶ一方、仲のよい友人の参列を排除する」といった弊害まで起きています。恩師や親友の訃報を受けて焼香に参加しようと思ったら、遺族から「家族葬なので」と断られて、残念な思いをした人もいるのではないでしょうか。
家族葬という言葉にとらわれなくていい
数年前、私はある90歳の女性の葬儀のディレクションを担当しました。その葬儀では参列者が150人くらいで、葬儀の小規模化が進む都市部にしてはややにぎやかではあるものの、一見普通の葬儀でした。故人の家族、血縁者が誰もいなかったことを除いては。
故人はずっと高校で教鞭をとっており、晩年は認知症を発症していました。いわゆる「おひとりさま」だったのですが、教え子で弁護士になった方が後見人と喪主を務め、葬儀にはたくさんの元生徒が集まりました。
葬儀でとくに重要なのは、「故人を慕う人たちが感謝と愛情を持って見送れること」です。たくさんの人を招いたり、血縁の有無で参列者を分けたりすることは重要ではありません。
明確な定義がないまま家族葬という言葉だけが定着してしまった以上、今回のジャニー喜多川氏の「家族葬」がスタンダードとして世間に認知され、家族葬の主流になってくれればいいと思います。
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