なぜ関西私鉄で「京阪」だけがプロ野球に無縁? グラウンド建設など実は野球とは深い関係

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京阪は、その名のとおり大阪と京都という2大都市を結んでいることから一定の需要があったのに加え、とくに京都側は寺社仏閣なども多く、観光客の比率が高かった。これをさらに促進するため、開業同年から菊人形展を開催。後にひらかたパークの建設につながり、一時は沿線を代表するイベントにまで発展した。

そんななか、京阪が乗客獲得の“次なる矢”として放ったのが「京阪グラウンド」の建設である。

当時は学生スポーツが盛り上がりを見せており、1913年には阪急が豊中グラウンドを、1916年には阪神が鳴尾球場を開設。ともに全国中等学校優勝野球大会(現在のいわゆる「夏の高校野球」、以下「中学野球大会」)で使用されており、京阪もこれに追随する形であった。

好評だった「京阪グラウンド」

開業2年後の1912年に取締役会で企画され、第1次世界大戦後に動きが本格化。1920年には寝屋川駅(現在の寝屋川市駅よりも南寄りにあった)と香里駅(現・香里園駅)の間に約5万㎡の土地を購入し、急ピッチで建設が進められた。

現在「京阪グラウンド」があった場所は住宅が立ち並び、往時の面影はない(筆者撮影)

こうして、京阪グラウンドは1922年4月にまず陸上競技場がオープン。1周400mのトラックは、石炭ガラを混ぜた土を使うことで水はけを考慮し、観客席も設けられるなど日本有数の設備を誇り、陸上競技はもちろんサッカーやラグビーの試合も行われるなど好評を博した。

また、これに先立って京阪では同年3月に臨時駅「運動場前駅」を開設。もくろみどおり、多くの人が京阪電車を使ってグラウンドを訪れたのである。

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