「一つの中国」は歴代為政者が夢見た幻想共同体 「香港暴動」は長い中国の歴史を象徴している

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実は多元的な社会を「一つ」にまとめようとする試みは、中国史のみならず、程度の差はありますが、アジア史・東洋史にも少なからずみられます。そのプロセスで生まれる軋轢をどう処理するかが、それぞれの歴史の要諦でした。

その手段として用いられたのが、宗教です。だいたい世界3大宗教と呼ばれるイスラーム、キリスト教、仏教は、いずれもアジア発祥です。それはおそらく、多元性をまとめるための普遍性やイデオロギー、あるいは秩序体系を提供することが、アジアの全史を貫く課題だったからでしょう。

それも一つの宗教・信仰に限定したわけではありません。1人の君主が複数の宗教を奨励、信奉し、同じ場所に暮らすそれぞれの宗教の信者をつなぎ止めて、共存させるといったこともありました。

アジア各地では宗教という普遍的なものも、多元的に存在していたのです。そうであるなら、複数の宗教・普遍性の存在を認めて重層化させることでしか、多元共存を可能とする統一的な体制は保てなかったわけです。

言い換えるなら、アジア史において政教分離は成立しにくいということです。多元性の強い社会で安定した体制を存続させるには、宗教のような普遍性を有するものがどうしても欠かせません。複数の普遍性を重層させねばならない場合は、なおさらです。

ヨーロッパで政教分離が成立したのは、そもそも社会も信仰も単一均質構造でまとまっていたからです。分離しても社会が解体、分裂しない確信が、その背後に厳存しています。仮にアジアで政教分離を実施したら、たちまち体制や秩序はバラバラになって混乱をもたらしてしまったでしょう。

儒教から「中華民族」へ

中国の場合も、統合の象徴として儒教・朱子学が用意されました。ところが儒教は、漢人のイデオロギー・普遍性ですので、モンゴル・チベットと共存した清朝では、それだけでは不十分です。儒教の聖人を目指した清朝の皇帝は、同時にチベット仏教にも帰依して、普遍性の重層を図ったのですが、その体制も18世紀までしかもちませんでした。

かくて近代以降、儒教・チベット仏教もろとも、先に述べた「国民国家」や「一つの中国」が代替することになります。同時に、清代の多元共存に代わる秩序と統合のシンボルとして「五族共和」や「中華民族」のような概念がしばしば提起されました。

「中華民族」は理論上「多元一体」のはずですが、そのセオリーどおりに「一体」が実現したことはありません。チベット・新疆の民族問題や香港の一国二制度の実情・現状をみれば、一目瞭然ではないでしょうか。

こうして「中華民族の復興」を「中国の夢」とする習近平政権も、はるか古くからの中国史の1コマとして捉えることができるのです。リアルな中国史を振り返ることで、現代中国の行く末にも、何らかの見通しが得られるのではないでしょうか。

岡本 隆司 京都府立大学文学部教授

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おかもと・たかし / Takashi Okamoto

1965年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。『属国と自主のあいだ』『明代とは何か』『近代中国と海関』(共に名古屋大学出版会)、『世界史とつなげて学ぶ中国全史』『中国史とつなげて学ぶ日本全史』(共に東洋経済新報社)など著書多数。

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