「一つの中国」は歴代為政者が夢見た幻想共同体 「香港暴動」は長い中国の歴史を象徴している

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しかしヨーロッパの近代が加速して、アジアへの進出を本格化させると、中国社会の多元構造はいっそう深刻かつ鮮明になりました。在地の勢力はいよいよ増大し、統御しきれなくなって、中国内の治安が悪化したばかりか、対外的な紛糾も頻発します。

「小さな政府」で在地在来の慣行に委ねる清朝的な統治方法では結局、産業革命以後の近代に対応し切れなかったのです。中国の19世紀は、内憂外患の時代になりました。

そこで苦闘した揚げ句に目指した解が、近代を席巻したヨーロッパの近代国家やそれを見習った日本をモデルとする「国民国家」の形成です。そもそも国民国家は単一構造的な社会だからこそ生まれたシステムであり、多元的な中国社会にはそぐわないはずです。

しかし、グローバル化した世界を生き残るには、それしか方法がないと考えたわけです。ここに、今日も続く中国の混迷と苦悩の直接的な出発点があります。

清朝は辛亥革命によって倒れ、中華民国が誕生します。蔣介石の南京国民政府まで、英米資本主義と深く関わっていました。また第二次大戦後には、毛沢東が率いる中国共産党が中華人民共和国を樹立します。こちらはソ連・共産主義とコミットしていますから、ベクトルはまったく逆のようにも思えます。

しかし、実は「国民国家をつくる」という目標を掲げた点では共通しています。あくまでも国民国家をつくって、西洋や日本に対抗するための取り組みが中国の「革命」だったのです。

ところがその「革命」・国民国家形成というイデオロギーと、歴史的に多元性を極めてきた現実の間には、容易に埋められない深いギャップがあります。だから、それが埋まるまで永遠に「革命」を続けなければいけない。それが、今日の中国の姿でしょう。

多元性と「一つの中国」の相克

例えば中国政府には、「一つの中国」という国是があります。中国大陸のみならず、台湾も香港もマカオもすべて統一国家中国の支配下にある、というわけです。

しかし、これほど欺瞞に満ちた言葉はないでしょう。現実として中国は複数の民族問題、国境問題も抱えています。

例えば民族問題でいえば、中国が「領土主権」・帰属を主張し、チベットが「高度な自治」を求めて、対立を続けている「チベット問題」は、解決の気配すらありません。

また先日も、新疆(しんきょう)ウイグル自治区の住民「数十万」人が、中国当局によって強制収容所に送られたと報じられて、われわれに衝撃を与えました。とにかく無理をして押さえつけている印象が拭えません。

国境問題にしても、日本との尖閣諸島問題のみならず、ベトナムとは南沙諸島問題があり、さらにインドやパキスタンとも、国境をめぐる対立が続いています。

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