先祖供養に「遺骨は必要ない」という衝撃事実 身体はあくまでも「抜け殻」にすぎない

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ところが、明治以降になってきますと日清・日露戦争の影響もあって遺骨を大事にという流れも出てくるわけです。さらに、これが昭和の新興宗教の最盛期とともに頂点に達します。

じゃあ、令和にもなった現在だと、一般の方の遺骨に対する気持ちがおさまってきているかというと、まったくそんなことはないんですよ。都市部の人たちでも遺骨に対する畏れはすごくありますよね。日常の中にまったくないものですから、どのように対処したらいいのかわからないのだと思います。

ペットのお葬式というのもあるようですが、そういった場合でも遺骨というのは大切にされるそうです。

遺骨は「よすが」である

つまり、現代において遺骨がいちばん簡単な「よすが」になってきているということなのだろうと思うのですが、昔はその役割を位牌が果たしていたわけです。ですが、現代ではそのよすがを持て余しているのだと思います。

遺骨というのは法的には産業廃棄物扱いになるのですが、関西以西なんかは、火葬した後に持って帰るのは喉仏と頭蓋骨のテッペンの硬い部分だけというところが多く、後は産廃として処理するので、そういう地方の葬儀で使う骨壺というのは本当に小さいんですね。

これが、関東の都市部となると、持って帰る骨が多い風習の所が多く、骨壺が大きくなってくるんですよ。地方と火葬場の回転率が違うというのもあるんでしょうが、火葬場の方であまり処理してくれない感じではあります。

風習というのもありますが、火葬場の炉というのは耐火れんがをつねに改修しながら使っているわけですから都市部の場合は火葬場の炉に負担がかからないように、多くの骨を持って帰るのが暗黙の了解的な決まりになってる部分もあるかと思います。

最終的に遺族の手元に渡る遺骨の量がまったく違うわけですから、これは困るだろうなと。都内近郊なんかの霊園だと、お墓を開けても骨壺を4つか5つか入れたらいっぱいになってしまうわけです。

そういう事情があるからこそ需要があるのだと思いますが、最近は遺骨を2センチ以内に砕いてくれる業者というのがいるそうで。これがなんで2センチ以下かと申しますと、そのサイズにしてしまえば散骨することができるので、遺骨を保管する必要がなくなるからでしょう。まぁ、いってしまえばこれは「代行業者」なのでしょうね。

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