日本の大動脈「東名高速」50年で積み上げた功績 「輸送革命」後押し、周辺地域の人口増にも

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1970年には大阪・千里で日本で初めての万国博覧会が開かれたこともあり、東名高速道路は名神と共に万博輸送の任も与えられ、名古屋~大阪間の高速バスの多くが万国博会場を経由したこともあって、高速バスの認知度が上がったことも、高速道路の存在を印象づけたと言えよう。

東名高速道路は、従来の東海道線や5年前に建設された東海道新幹線よりも山側(北側)に建設されたこともあって、主要ルートから外れていた街を再び活気づける役割も担った。

ICの開通が地域の活性化に貢献

その最たる都市が、東名が神奈川県から静岡県に入ってから最初にあるフルインターチェンジの名前にもなっている御殿場市である。御殿場は東京と関西以西を結ぶ東海道線の主要な駅となったことで、明治以降賑わいを増したが、昭和に入って丹那トンネルが開通し、輸送の主力が小田原―熱海~沼津のルートになると、御殿場を通る旧東海道線はローカル線に格下げとなり、御殿場は発展から取り残されていくようになる。

しかし、東名高速道路のルートが、東海道線沿いではなく、国道246号沿い(大井松田―沼津間はほぼJR御殿場線沿い)となって、御殿場にインターチェンジが設置されたため、御殿場は富士や箱根への車での玄関口へと変貌、再び活気のある街へと変わっていった。

人口もほぼ一貫して増え続け、東名全通時には5万5000人ほどだったのが、2019年の最新の統計では8万8000人へと6割も増加している。

このように東名高速道路の開通が発展の大きな契機の1つとなった町は、ほかにも厚木(神奈川県)、豊田(愛知県)などがあり、東京や名古屋のベッドタウンという要素もあるにせよ、どちらもやはりこの50年で人口が2倍以上に増えている。名神高速道路がほぼ全線を東海道線(および東海道新幹線)沿いに敷かれているのと比べると、別ルートによる建設は新たな地域の発展に寄与したと言ってよいだろう。

その後の宅配便の発展、とくに離島など一部の地域を除いてほぼ翌日には荷物を届けられる体制になった背景にも、東京―名古屋ならノンストップで4時間前後、東阪間でも深夜に出れば翌早朝にはトラックで輸送できる態勢が整えられたことが大きい。野菜や鮮魚などの生鮮品の輸送革命を担ったのも、その後建設が進んだ日本全国を結ぶ高速道路網の発達であった。

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