日本人の思考回路にも問題がある
一方、日本人は「協調することで人間関係はうまく行く」と単純に信じている人が多い。それゆえ、妥協文化が蔓延しがちた。だが、お人好しの振りをしておけば得をした時代は、もう過ぎ去ったといってもよいのではないか。
「阿吽の呼吸」は、単一文化や単一民族に近い、という背景から生まれたとも言える。少子高齢化が日本の成長を止めるというならば、今後はいっそのこと、海外からの労働者(移住者)をもっと積極的に受け入れることで、日本再生が実現するのではないだろうか?そうやって、外国人文化を受け入れ、多様性に対応することが日本を活性化する早道である。つまり、「異質を理解したうえでの協力」こそが、日本社会に必要な要件である。新しい日本人文化を、今こそ再構築すべきだと思うがどうだろうか?
実は、私の会社AMJ(アドバンスト・マテリアルズ・ジャパン)の営業マンの半分は、外国人トレーダーである。また、中国関連の貿易では、当たり前のように中国人トレーダーに一定の権限を与えている。日本人では交渉がうまく行かないケースがあるからだ。無論、中国人に任せれば100%うまくいくというものでもないが、AMJでは「外国人力」を最大限活用して「異質の協力」を実現している。
そもそも、「日本人が交渉慣れしていない」という指摘は、今に始まったことではない。相手が中国人でなくても、日本人が交渉下手なのは、日本人の背景や、その思考回路にも原因があると、私は思う。
つまり、瑞穂(みずほ)の国、日本は農耕民族が大多数の「村社会」であり、お互いが助け合わなければ食べていけなかった。それゆえ、農民がみんなで一緒に田植えをしたり、刈込みをしたりせざるを得ない。やはり、よくいわれることだが、狩猟民族や大陸の遊牧民族などとの最大の発想の違いは、日本人が農耕民族であることから発生している。日本の「村社会」はお互いが協調しなければ、除け者にされたのである。違った考え方を持っていても、あえて迎合することでトラブル(問題)を回避しようとする人も少なくない。
そこへいくと、世界の常識はまず、多くの人は自立することから始まった。だから、他人に対して依存心が少ない。「自己の確立」は、個人主義的な発想が基礎になるはずだ。ときどき海外から帰ってきて、日本人に会うと、幼児性を感じることが少なくないのは、案外、安易な依存関係から抜けられない人が多いからかもしれない。
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