それまでの美術史を覆すような発想に、いやこれもアートではないか、と誰かが共感したんでしょう。アートの持つ価値を、それまでの目で鑑賞する美しさから、何を表現するかという考え方、コンセプトの面白さに大転換してしまいました。アートはかくあるべしの概念を広げちゃったんです。
「共感力」に評価の軸が移りつつある
──でも現在進行形の無名の才能を素人が発見するのは超困難では。
少なくとも美術に関する基本的知識や情報、その作家についての下調べは必要ですね。その作品が美術史の文脈上新しいかどうかを見分けるギャラリーや美術館、キュレーターや有名コレクターなど、世間に提示する場に持っていける人がいなければ、その作品は埋没してしまうかもしれない。例えばある一般人が、キャンバスをサッと切り裂いただけの作品を「これはすごい!」と思ったとする。でも数を見てきて美術史を知っている人間からすれば、そんなの珍しくも何ともない。
いちばん大事なのは作品=作家という視点です。その作家がどんな人物か、過去の作品から進化しているか、新しくチャレンジしているか。何より、環境に合わせて自分を柔軟に変える才能があるか。時代を代弁していてこそ価値がある。例えばチームラボの作品は、リーダーの猪子寿之さんをリスペクトして彼の将来に賭けて買われている。だから世界4大ギャラリーの1つ、ニューヨークのペース・ギャラリーで初日完売なんです。
──難解・複雑なコンセプトを評価する時代はいずれ終わる、とも。
共感力のほうに評価の軸が移り始めています。コンセプトはより難解・複雑であったほうがいいと考える時代があった。けど徐々にアートを作る人が増えアートが民主化されていくと、よりわかりやすいものが理解されやすい。キュレーターやニューヨーク・タイムズの論評が評価を下すような “ミシュラン的”なものより、 アート好きが集まって加点する“食べログ的”な評価が尊重されるようになる。アートの民主化ですね。
売れないけどよい作品という考え方は、時代と資本主義の流れから崩れつつあって、売れない作品=将来的価値が認められない作品、売れる作品こそよい作品という理屈が当然になっていくでしょう。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら