実は「温暖化の産物」だったモンゴル巨大帝国 「気候変動と生態環境」で捉えるアジア史
遊牧世界だけではありません。気候が温暖になれば、農産物の生産力も上がりますから、農耕世界も元気になります。
そしてこの時期、東アジアで顕著だったのは、技術革新やエネルギー革命、それを通じた経済開発・経済発展です。中国の王朝名で言えば、唐と宋の間あたりに起こったので、「唐宋変革」と呼んでいます。北宋が契丹と対等な関係を保てたのも、この経済力のおかげです。
まず農業生産が飛躍的に伸びたため、人口が増加しました。大きく開発が進んだのは、長江デルタの米作地帯です。石炭が普及し始めたのも、この時期でした。多大な熱量を得たことで、金属器の生産量が飛躍的に増大し、銅銭が大量に鋳造され、中国は一挙に貨幣経済へ移行します。
鉄も大幅に増産しましたから、農機具がたくさん作れるようになり、農業生産の拡大にもつながっています。同時に、より鋭利で多量の武器もできますので、農耕民も遊牧民も、以前よりいっそう力を持つようになりました。
温暖化のなかで、かつての遊牧・農耕両世界の関係も変わってきました。伸長した経済力と軍事力をどのように組み合わせて共存させるのか。そうした模索の果てに登場するのが、モンゴル帝国だったのです。
集大成としてのモンゴル帝国
13世紀に出現したモンゴル帝国は、何より遊牧軍事国家として成立しました。トルコ系遊牧民を従え、軍事力を拡大して、ユーラシアの草原世界を制覇したのが、チンギス・カンの事業です。
その勢いは軍事にとどまりません。草原から打って出て、シルクロード上のウイグル人やイラン系ムスリム商人も支配下に置きます。彼らはかつてのソグド商人がトルコ化・イスラーム化した人々で、ユーラシアの経済・財界を牛耳っていました。モンゴル帝国は遊牧の軍事力と商業・金融の経済力を結びつけ、改めて農耕世界の征服に乗り出したのです。
チンギスの孫のクビライの南宋征服で、その事業は完結します。その豊かな生産力を軍事・商業と組み合わせて、ユーラシア全域におよぶ交通圏・経済圏を形づくったのです。銀を準備とする紙幣が流通した社会ですから、現代のわれわれから見ても、あまり違和感がありません。
モンゴル帝国はまた、海上への展開も開始していまして、日本の「元寇」もどうやらその一環です。首都の北京に江南の糧食・物資を運び入れるのに海運を使いましたし、インド洋の海路を使った使節往来や民間交易もすすめました。ムスリム商人が以前からそこで交易しており、中国にも来ていたのですが、モンゴル帝国はその組織化を試みたわけです。
こうしたモンゴル帝国の誕生と繁栄は、9世紀以来、温暖化に転じていたアジア史の展開の集大成だった現象とも言えます。遊牧国家が活気づいて拡大したのと同時に、農耕世界も生産力を増大させていたのですが、それぞれの勢力がせめぎ合って相下らず、分立状況にありました。そこで軍事力に優れたモンゴルが、シルクロードの商業資本を組み入れることで、各地を結びつけて全体の統合を果たしたわけです。
言い換えるなら、それぞれ言語や生活習慣を持つ多様な種族・集団が、それぞれ軍事、経済、農業などを分業していたのが、アジア史の特徴でした。その全体がこの時期、政治的・社会的に、モンゴル帝国として1つにまとまり、温暖化での発展をいっそう推し進めたということです。
(後編につづく)
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