団塊の世代前後の人には、川口といえば吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』を思い浮かべる人も多いだろう。
1962(昭和37)年に公開されたこの作品は川口の地場産業である鋳物工場を背景にして、貧しくも健気に生きる少女の成長を描いたものだ。
筆者は平成に入った頃、日本映画の名作としてこの作品を見て、川口にはまだキューポラ(溶解炉)はあるのだろうかと思い、京浜東北線に乗って初めて川口に行った記憶がある。
平成初期、川口駅前には「鋳物は川口」という大きな看板が掲げてあったが、映画に描かれていたようなキューポラが並ぶ街並みはすでに見当たらなかった。
昭和30年代には鋳物生産高が全国一
近代以降に勃興した川口の鋳物工場は、昭和30年代には全国一の鋳物生産高を誇ったが、それ以降には工場の移転、廃業が続き、川口駅周辺の工場は激減。現在、市内でタワーマンションが建っている場所は、かつて鋳物工場だった敷地が多いそうだ。
昭和30年代、小学生時代に川口で育った人の話によると、当時は鋳物工場の煤煙がひどかったため、工場が操業する昼間に洗濯物を干すと衣類が黒ずんでしまうので、洗濯物は夜に干して朝方に取り込むのが日常だったとか。
先日、ほぼ25年ぶりに川口駅前に行ってみたが、その変貌ぶりに驚愕した。東口駅前は、一瞬、大宮駅前と見間違うような風景が広がっている。そごうデパート、商業施設や市立図書館などの公共施設の入る複合ビル「キュポ・ラ」などが建ち並び、以前の風景はまったく思い出せない。
駅前の川口1丁目の再開発事業は、1985(昭和60)年に開始され、21年の歳月をかけ、2006(平成18)年に完成したものだという。そごうデパートが開店したのが1991年。西口駅前に2000席超を備えるホール「川口総合文化センター・リリア」が開設されたのが1990年のことだった。
【2019年4月21日12時20分追記】初出時、キューポラの記念碑と川口総合文化センター・リリアのある場所について間違いがありました。表記のように修正しました。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら