新元号が決まりました。実に喜ばしいときに連載が当たりまして光栄であります。ということで、今回は社会問題としてこの話題から……。
万葉集が典拠だからといって「脱中国」にはならない
ちょっとびっくりしたのは、万葉集が原典になっているからということで、「日本古来の価値観を大事にした」……的な報道が多いことです。
まじですか!? 在米ジャーナリストの飯塚真紀子さんによると、欧米にもそういう報道があるようです。一部を引用します。
「日本の新時代の元号を決めるのに、伝統を打ち破って、中国の書ではなく日本の書を使うという判断は、安倍保守政権の国粋主義的傾向と結びついているように見える」(イギリス・デイリーテレグラフ)
「これまで使われて来た中国の書ではなく、元号のインスピレーションを得るのに日本の書を選択したことは、明らかに、安倍首相の保守的政治基盤へのアピールだ」(アメリカ・CNN)
別に、「令和」という元号が万葉集を典拠としたとしても、そのことによって、「脱中国」を果たしたということにはならないと僕は思いますけどね……。
万葉集について重要なことは、それが「中国文明に圧倒的な影響を受けながらも、それでもなお独自の価値体系を表現してみせた」ということにあるのだろうと思われます。見ればわかるけど、使っている言葉は中国語そのものです。
逆に、あえて書くけれども、当代の日本で一定の社会的地位にある人々が貧しいものの1つは「漢学の素養」ではないでしょうか(例えば宮澤喜一元首相などと比較すればわかりますよね)。
これは中国共産党体制への評価うんぬんではなく、それは、「漢字を使う文化」圏では、当然の素養であるはずです。
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