清水が入室して1時間ほど過ぎた頃、バツの悪そうな表情で父親が現われた。誰とも目を合わせず、祖母の顔を一瞬覗き込むような仕草をした後、ベッドを通り過ぎて窓際にあるソファに腰を下ろした。もしも祖母が目を開いても、その視界には入らない位置だった。
杉田が清水を、祖母が長年お世話になった施設の職員だと紹介すると、父親は「ありがとうございます」と言い、頭を下げた。その後、「よく眠っているじゃないか」と、視線を合わせずに杉田に声をかけた。
「人は死ぬ時を自分で選んで旅立つ」
しばらくの沈黙の後、清水が父親に、「お母様にお手を触れられませんか。手から触れて下さると、ご本人はとても安心されますから」と尋ねると、父親は「いやいや、いいですよ」と即答した。清水は自分がいると家族だけの時間がつくれないと考え、今日はこれで退室すると杉田に伝えた。
「入院で大変だったな」
清水を見送って戻ってきた杉田に、父親は場を持て余すように言った。
杉田は「ううん」と答えた後、心の中で自分にこう言い聞かせていた。
「……この会話は祖母に全部聞こえている。3人で話す最後の機会になるかもしれない。だから、楽しい会話を祖母に聞かせた方がいい」
父親が再び、「お前、仕事はどうしてるんだ」と口を開いた。
「ちゃんとやってるよ」
「ご主人には迷惑かけてないか」
「うん、それも大丈夫よ」
「でも、お前は、おばあちゃんの面倒を本当によく見てるよ」
「今度のことは後で本にでも書いて、私がごっそり儲けるからさ」
それは杉田の事業が成功することを強く願ってくれていた祖母へ向けた軽口で、杉田は微笑んでみせた。すると、父親が「じゃあ、そろそろ帰るわ」と言って腰を上げた。来てからまだ30分ほどだった。
そのとき父親はベッド脇で祖母の体をさすっていた杉田にまっすぐに近寄ってきて、その右手を祖母の額に近づけ、触るか触らないかの微妙な間合いですっとなでた。
「私はほぼ正面で父の顔を見ていましたけど、口角はしっかり上がっていて、祖母を見る目はとても優しかった。だけど、その触るか触らないかの父の右手がとても象徴的でした。触りたいんだけど、触れない。祖母との長い間の葛藤をぎゅっと凝縮したような場面でしたから」(杉田)
結局、祖母は父親の面会から約7時間後に逝くことになる。
「でも、祖母はうれしかったはずです、ずっと会いたがっていたと思うから。やっぱりパパのことを待ってたんだって、私、直感しました。柴田さんの本にもあったように、人は死ぬときを自分で選んで旅立つんだって」
杉田は晴れやかな顔つきでそう結んだ。
(=文中敬称略=)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら