拉致問題に苦しみ続ける横田夫妻41年間の戦い 被害者家族たちの高齢化も進み、猶予はない
曽我ひとみさんも、つらい監禁生活の中、めぐみさんに救われたと振り返る。
「『もみじ』や『ふるさと』などは(監視に聞かれないよう)小さな声で一緒に歌いました。(めぐみさんは)絵がとても上手で、私の手をモデルに鉛筆で書いてくれ、それをプレゼントしてくれたこと。
丁寧に押し花を作り、それをしおりにしてプレゼントしてくれたこと。一緒に卓球をしたこと。物品の少ない店に行ってお菓子や雑貨を選んだこと。小さな出来事でしたが、2人にとってはとても楽しくうれしいことでした」
一緒の部屋で顔を見合わせて寝ながら、ヒソヒソと日本の思い出について話していた2人。めぐみさんから、家族の話題が出ることもあった。
「(めぐみさんの)お父さんはとてもやさしく、お母さんはいつも香水のにおいがしていたと。そして双子の弟はとても可愛いのよ、といつも話していました」
1980年、曽我ひとみさんは、元アメリカ兵、チャールズ・ジェンキンスさんとの結婚を機に、めぐみさんと離れて暮らすことになった。そのときの忘れられないエピソードがある。
「めぐみさんの持ち物全部を覚えているわけではありませんが、いつも大切にしていた赤いスポーツバッグは忘れたことはありません。私が別の招待所に移ることになったときもらいました。いつかどこかで会えることがあったら、今も大切に使っているところを見てもらいたいと思い、買い物に行くときはいつも持って行きました」
蓮池薫さんが見ためぐみさんの苦悩
曽我ひとみさんと別れためぐみさんが、1984年頃から同じ集落で暮らすようになったのが、蓮池薫さん・祐木子さん夫妻、地村保志さん・富貴恵さん夫妻だった。今回、蓮池薫さんが、めぐみさんとの北朝鮮での暮らしについてインタビューに応じてくれた。
「めぐみさんは、韓国から拉致されてきた金英男さんという方と結婚しました。その後は、われわれと、地村さんと、横田さんのご夫妻と、3軒がお互いに行き来するような環境の中で暮らすようになりました。
お子さんも生まれましたし、お互いに祝日とかですね、お正月とかになると一緒に食事をしたり、時々一緒に出かけるようなときもありました。日曜日などは、遊んでいる子どもたちを見ながら話したり、カード遊びなんかしたりしました。閉じ込められた軟禁状態のつらさの中で、そういったことが唯一の気分転換でした」