拉致問題に苦しみ続ける横田夫妻41年間の戦い 被害者家族たちの高齢化も進み、猶予はない
取材班は、佐渡島に住む拉致被害者、曽我ひとみさんから手紙をいただいた。
そこには、合わせておよそ8カ月間、北朝鮮で一緒に暮らした横田めぐみさんについて、思い出せる限りのことが記されていた。
「バドミントンの部活帰り、友達と別れ家の近くの曲がり角まで来たところで襲われたと言っていました」(曽我ひとみさん)
1977年11月15日午後6時半頃、部活が終わって下校中、あともう少しで家に到着するという所で北朝鮮の工作員に襲われ、新潟の海から北朝鮮に連れ去られた横田めぐみさん。当時、まだ13歳だった。その9カ月後の1978年8月12日、新潟県の佐渡島から買い物帰りに拉致されたのが曽我ひとみさんだ。一緒に拉致された母、ミヨシさんの行方は今もわかっていない。
曽我ひとみさんは拉致されて6日後に、ある招待所に連れて行かれる。招待所とは拉致被害者や工作員を住まわせるための施設のことだ。そこで待っていたのが、14歳になっていた横田めぐみさんだった。そのときの状況をこう振り返る。
「招待所の玄関で私を迎えてくれました。どんな人がいるのだろうと、とても緊張していたのですが、私を見てやさしく微笑んでくれたので、緊張がほぐれホッとしたことを覚えています。
反面、妹と同じくらいの子が『どうしてこんなところにいるんだろう?』と疑問に思いましたが、そのときは何も聞きませんでした」
めぐみさんとひとみさんは、1978年から1980年にかけて、招待所を転々としながら合わせておよそ8カ月間、一つ屋根の下で支え合って暮らしていた。
「(めぐみさんは)勉強は特に熱心に取り組んでいました。先生から教えてもらうとすぐに理解していました。どんな勉強でも同じでした。北朝鮮では後輩にあたる私は、めぐみさんから多くの事を教えてもらいました」
ひとみさんを支えためぐみさんの優しさ
横田めぐみさんと言えば、桜の下で寂しげな表情をしている写真を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。
実はあの写真は、水疱瘡(みずぼうそう)が治ったばかりで気乗りしないめぐみさんを、父親の滋さんが連れ出して撮った写真のため、笑顔で写っていない。
だが本当のめぐみさんは、いつも笑顔で底抜けに明るく、家でも学校でも冗談を言ったり歌ったり、まさに太陽のような存在だった。