作家・酒井順子が語る、読書と旅が似ている理由 読書は過去にも旅にも連れて行ってくれる
「清少納言とは友達になれそう」
──子どもの頃はどんな本を読んでいたのですか?
それがあまり読んでいなかったんです。強いていえば図書館で戦記物を読んでいたくらい。第二次世界大戦やベトナム戦争の本とか。リアリティーを求めていたので、物語よりもノンフィクションなど、事実を元にした子ども向けの本を手に取っていました。
でも今から考えると、それは「かわいそう」という気持ちになって涙を流すことが目的で、純粋に本に惹かれてということではなかったのかも。
──読書が楽しいと思うようになった端緒は?
本当の意味で楽しくなったのは、30代に入って日本の古典文学を読み始めたときです。最初に原文で読んだのは『枕草子』で、なんて面白いんだろうと心奪われました。
一番衝撃的だったのは、1000年前の人と自分との間にたくさんの共通点が見つかったこと。清少納言の書いていることに「同じことを考えている!」と共感できて、この人と友達になれそうだと思いました。考えてみれば清少納言とほぼ同じ職業なのに、一度もまともに読んでこなかったんです。
その後は『源氏物語』や『紫式部日記』、『和泉式部日記』と平安女流文学を中心に読みふけりました。特に女性の日記ものの、著者の性格が生々しく表れているところが好きです。1000年経って、目に見えるものは激変しても人間の感情は結構不変だとか、変わったものと変わらないものを知るのが、古典を読む醍醐味です。
──普段の読書の方法を教えてください。
仕事の資料としてたくさんの本に目を通す必要があって、何冊もの本を並行して読んでいます。面白くないと途中で止めることもありますが、たとえば寝る前に読む本、旅に持っていく本など分けています。旅には土地に関わるものを持っていくことが多いですね。
書評の連載を持っているので、どれを取り上げるかを考えるために、いろいろな本を読んでは止める、というのを繰り返すこともあります。資料としての本を読むときは趣味のときとはまた別の面白さがあって、ここが書きたいという部分を発見できると嬉しい。
また、ある本が別の本を芋づる式に連れてきてくれることもあります。一冊の本の中に別の本のタイトルが出てくると、気になって読みたくなる。そうやって本が本を連れてくる現象は読書の楽しみの一つではないでしょうか。